講義内容は別にして、話の脱線部分で可笑しかったのは、昨年10月に、1250年間行方不明だった(国宝)陰剣・陽剣が発見されたのは有名なことだが、実は、この剣は明治40年に大仏の前で出土し昭和5年に国宝に指定され、その後“奈良博”が預かっていたが、昨秋、元興寺文化財研究所がX線検査で大発見したということ。
つまり、“奈良博”は何をしていたということ・・・で、聞くと“奈良博”のX線機器が壊れていたとのこと。
壊れていたのが嘘でないなら、“奈良博”の予算の乏しさ・・国の文化行政への意識の低さが露呈したもので、考古学専門の教育室長の嘆きには心から同情する。
そうとは話さなかったが、教育室長のショックは相当なものであっただろう。
正倉院宝物・銀壺 |
それにしても“奈良博”は、奈良国立文化財研究所、県立橿原考古学研究所、元興寺文化財研究所と、奈良大学、奈良教育大学、帝塚山大学、天理大学等々の世界的に見てトップレベルの歴史研究機関に囲まれて大変なことと思われるが、まあ奈良というのは、この研究機関の厚み、奥深さが頼もしい。
講義内容に触れると・・・、第62回正倉院展で「おそらく遣唐使らによってわが国にもたらされたもの」と図録等に記述した銀壺が、その狩猟文の検討から、国内産かもしれないと考えられる理由を提起されたことは新鮮で説得力のある問題提起であった。(理論武装をして論文に仕上げたいとのこと)
そしてポツリと、「この話は国立東京博物館では歯牙にもかけられない」と呟いた研究者の顔に、地方勤務の準国家公務員の意地を感じたのは思いすぎだっただろうか。がんばれ と、心の中でエールを送った。
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