2011年2月24日木曜日

炭も焼いていた母

 ―― 大正生まれの母が子供だった頃パート6 ――

 繰り返しになるが、先日来、義母に「昔の暮らし」の“講義”を受けている。
 が、昨日、外泊で帰ってきた開口一番が、「もう何もかも忘れてしもた」という先制パンチであった。
 で、再び三度、同じような話を尋ねてみると、これまでの私の思い込みが次々に覆されていくのが我ながらおかしかった。だから、このブログ、恥ずかしいのでプロの農家の人は読まないで欲しい。

 以前に、「炭焼きもしていた」と言うので、至極当然に裏山に炭焼き窯を持っていたのだとばかり思っていたが(それ以外の炭焼きなど想像外であったが)そうではなく、平地で焼いていたと言う。
 次に「すぎぬか(籾殻のことらしい)を被せて焼いた」と言うので、よく田圃で見る、煙突を立てて籾殻の小山を燃やしている風景を想像したが、あれは「籾殻燻炭」で、これも全く別のものらしい。
 ということで、もう一度最初から聞き直した話は次のようなものだった。
 田圃に穴をほり、籾殻を敷き詰め、山から切ってきたクヌギや樫等の堅い木を並べ、隙間に籾殻を詰め、煙突を立てて、火をつけて、泥で蓋をしたらしい。後は煙を見て止め時を決めるとのこと。
 こうして、一年分のお客さん火鉢用の炭を用意したらしい。
 私は決して懐古主義者ではないが、諸々の商品の購入の道が閉ざされた場合に対応できる知恵や技術を置き忘れてきてしまった現代社会を見たときに、母たちの世代の、以上のような、地に足の着いた知恵と逞しさには本当に頭の下がる思いがする。

 ああ、この列島の自然や文化への敬意を忘れたTPPの向こうに、殺伐とした風景を想像するのは悲観的すぎるだろうか。

 ビールを傾けながら昔の記憶を訥々と探す母は、欲目かも知れないが嬉しそうだ。
 
 
 

2 件のコメント:

  1. 「告朔のキ羊」(コクサクノキヨウ)=キと言う宇は食編に氣ですが=と言う言葉を聞いたことがあります。「論語」の言葉でサクとは一日のことでキヨウとは生け贄の羊という意味で昔の中国の先祖まつりと農作物の季節を教える儀式のことで「孔子」の時代には形式だけ残り、内容は廃れてしまっていた様です。そこでこんなことは止めてしまおうという意見が出たところ「孔子」は「内容が失われいても形式が残っていたら何時か内容がよみがえる時がある。礼を失ってはならない」と諭されたとの話です。因習とか惰性とか時代遅れとか言って理屈を付けて壊してしまうのではなく、日常の生活の伝えられた形は大切にする。形が残っておれば必要とする時には内容の復活が可能だ。と言う教えのようです。夏目漱石の「我が輩は猫である」にも出てきます。
    何故このことが印象的かと言いますと「岡山」での里山復活の講習会では機械類は一切使わない、全て手作業の山作業で疲労困憊した経験をしたからです。

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  2.  スノウ仙人 「告朔の餼羊」御教示ありがとうございます。
     酒を飲んだときに偉そうな顔をしながら子供たちに語ってみたい気がします。アハハ
     先に生まれた人はそれだけで先生やで・・ とかなんとか付け加えながら・・・

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