古代ギリシャの哲学者は「万物は流転する」と語り、釈迦は「諸行無常」と喝破した。とはいえ別れは辛く悲しい。
鬼子母神は一説では500人の子がいたがその末子一人が居なくなっただけで半狂乱となった。それほどに別れは辛い。
それぞれの喪中はがきの差出人にお悔やみを申し上げたい。
さて、喪中はがきの中には「君の賀状は励みになるので気にせず送ってくれ」というのがあった。お世辞にしても嬉しいので、例年どおり投函しようと思う。
12月になると新聞の投書欄に「年賀状は直筆がよい」というような投稿があったりする。悪筆の私には耳が痛い。
思うに、印刷であろうが直筆であろうが手段なのだから、要は心を込めて作成すればよいと思う。
実際戴く年賀状は、随筆風、版画、絵手紙風、写真等コラージュ、文芸作品等々多様で楽しい。決して虚礼などとは思えない。

喪中はがきではないですが年賀状は今年限りというのをいただくと寂しいですね
返信削除物理的に?歳をとると年賀状の作業も困難になってくるのは分かります。しかし何か印刷業界あたりの宣伝に乗っての喪中はがきもあるのではないでしょうか。
返信削除年の初めごろにあった遠い親類の喪中だなんて、ほんとに喪に服しているの?と思ったり、だいたい、服喪の基準は何? 古代? 江戸時代? 明治時代? ・・忖度、同調、当たり障りのない・・ もっと自分自身の思いを大事にしたら・・などと思うこともあります。 ・・せっかく穏やかにやり過ごそうと思っているのに難しいことを言うな!という気分もわかりますが。
年賀状仕舞いなんて言葉は誰が言い出したことなのでしょう。 確かに虚礼に近い形式的な付き合いはどこかで一定の整理が必要でしょうが、若い人が年賀状仕舞いなどというのはあまりいい印象を受けません。