2024年7月23日火曜日

古代史を刻む

   1352年前の672年(天武元年)7月22日、近江大津宮の大友皇子と後の天武天皇が対決した古代史最大の内乱、壬申の乱で、両軍が雌雄を決した『勢多橋の戦い』があった。結果は天武軍の勝利に終わり、大友皇子は翌日自害した。 

 写真は現在の瀬田の唐橋だが、当時の勢多橋はここからおよそ80m下流にあった(という)。
 ところが、日本史の中でも特筆されるそういう歴史的な土地(橋)であるにもかかわらず、そのことを偲ぶ記念碑等が全くなく、歴史を学ぶ人々の間では静かな不満があった。

   そういう声に応えて、歴史学者小笠原好彦先生に学ぶ近江や奈良の有志があい寄り、『壬申の乱 勢多橋の戦い
跡』の石碑を建てようということで、勢多橋のふもと近くの御霊神社境内に建立することとなり、このちょうど22日、御霊神社宮司の進行で除幕式が厳かに挙行された。

 石碑の裏側には建立者の氏名の内の一人として私の名前も刻まれて、石碑であるから、よほどのことがない限り何百年以上は残ることだろう。

   近頃なら何千万円かの寄進をすると、寺社の参道などに「金何千万円 何の何某」という石柱が建てられるが、それとは違い、桁違いに少額の負担金だが勉学と志しをもって建立したというこの石碑はちょっと自慢である。

 願わくは、孫や曾孫やその孫が、こんな祖父ちゃんが居たということで、何らかの勉学の励みになってくれたらうれしい。
 唐橋西岸の御霊神社。通る機会があればクルマも止められるので覗いてみてほしい。
 こんな、普通には出くわさない機会に誘っていただいた小笠原好彦先生や奈良歴史遺産市民ネットワークの小宮みち江さんには感謝。

2 件のコメント:

  1. 素晴らしく良い事をなさいました。羨ましいです。

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  2.  日本史など全く無縁で来ましたが、国会で現職閣僚が「いわば縄文時代にあたる時代に神武天皇が即位した」とホンキで発言しているのを見て、ただ「そんなあほな」だけでは済まないと考え古代史を勉強し始めました。
     縁は異なもので、それがここまでたどり着きました。ただ脳みそは入力以上に出ていくので困っています。

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