2024年7月10日水曜日

風船爆弾と突殺訓練

   小林エリカさんの長編小説『女の子たち風船爆弾をつくる』は史実を丹念に描いた作品といわれている。
 主な舞台は東京宝塚劇場。そこへ動員された雙葉(ふたば)女学校の卒業生に作家が会ったとき「戦後40年間、自分が何をつくっていたのか知らなかった」と答えたことに作家は驚いたという。
 もちろん、自分が作ったかもしれない風船爆弾で太平洋の向こうの普通の住民や子供が被爆していたかもしれないという心の呵責もなかっただろう。

 戦争の体験記では、例えば東京都小平市の画家宮本弘康氏の「命令だ。やれっ」の中隊長の怒声で中国兵の首に日本刀を振りおろした体験などを読むと、銃剣で捕虜を突き殺す「訓練」も頻繁に行われ、中隊長は「日本兵に度胸をつけるため」で「兵隊の訓練にはこれが一番良い」というものだった。
 この狂気に馴れない兵隊は自分が狂ってしまうのが戦争のリアルだった。強姦もまた同じ。
 そんな、まともな顔で家族に語れない体験には口を閉じたまま戦争体験者の多くは彼岸に行った。
 戦争のリアルはそこにあったのに、女学生たちは何も知らずに風船爆弾をつくっていた。

 7月8日の朝日新聞の「オピニオン」は『無人兵器で変わる戦争』だったが、それはウクライナでもガザでも今では普通のニュースで、そこに驚きはない。
 ガザ以前に見たテレビ番組だが、イスラエルの女性兵士がイスラエル国内の「操縦室?」でほんとうにゲーム感覚で標的を定め、後はボタンを押すと誘導弾が標的を追跡して爆殺するだけというのを見たが、きっとそこには標的周辺で殺された民間人の苦しみなど返ってくるはずもない。

 突殺の訓練も怖ろしいが、この殺人の感覚のない戦争も怖ろしい。
 この感覚の向こうに、「核兵器を使う方が話が早い」という議論が大手を振って歩かないかと私は心配する。

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