2024年3月28日木曜日

大和川の勉強

   27日、久々のお天気なので、鬱陶しいパソコンの修復は一切放っぽり出して、奈良へ、「大和川付替え」の歴史についての学習講座に出かけ、ついでに奈良公園を散策してきた。
 古代からの大和、河内、摂津、和泉の河川の問題から説き起こされ、大和川付替え要求活動の必然性とともに新大和川に該当する村々の反対要求も知った。
 その上で、付け替え要求が停滞・下火になったところから実現していったのだから、歴史はおもしろい。

 私は、あえて「堺では、大和川の付替えによって土砂が港を浅くしたので堺が疲弊していったという説があるが」と質問したところ、講師の万歳氏は「堺市立博物館でもそのような説明がなされていたことがあるが、今ではその説は正確でないとされている。事実、堺は土砂は埋め立てに使われ、新田も増え、さらにその先へ先へと港が整備されていった」という趣旨の回答だった。

 また、主に河内の旧河川跡の新田は稲作にあまり向かなくて、結果として「河内木綿」につながったというのは聴き初めだった。

 京、大阪に対する滋賀県民のジョークに「琵琶湖の水、止めてまうぞ」というのがあるが、大和川の龍田山の下の「亀の瀬」をちょっと止めたら奈良盆地は全て水没する(吉野から南は別)というのは滋賀と同じ恐ろしいジョークである。

 写真は27日の奈良公園、氷室神社の枝垂れ桜。

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