米朝が演じた名作の一つに『胴乱の幸助(どうらんのこうすけ)』という落語がある。
主人公の幸助はいつも腰に今でいうショルダーバッグのような胴乱を下げていたので、あだ名を胴乱の幸助と呼ばれていたのだが、そういう胴乱を私などは見たこともなく知らなかったが、少なくともこの落語が作られた昭和初期?頃までは胴乱そのものの解説は不要なほど普通に存在したものだったのだろう。
昭和30年代、私が小学生の時は学校にブリキ製の胴乱がいくつかあった。戦前に製造されたものだろうし、植物採取の胴乱はブリキ製が普通ではなかったか。だから万太郎の革製には少し驚いた。
われわれ児童は、夏休みにその胴乱を下げ、先生に引率されて阪急石橋から箕面駅の間で植物採集を行った。
採集した植物は家に帰ってから新聞紙の間にきちんと広げて挟み重石をかけて乾燥させた。
植物の水分がきちんと抜けるようにほぼ毎日新聞紙を取り替えるのだが、小学生には地味な仕事の繰り返しだからつい2日おき3日おきになり、結果として十分乾燥されず、無残な標本になったものも多かった。
朝ドラを見ていて、懐かしい思い出が蘇ってくるが、水草の標本が珍しがられた外は標本にした植物の名前も一切頭に出てこないから、出来栄えはもう一つだったのだろう。
8月下旬、地蔵盆の頃になると、夏休みの自由研究のこの標本づくりに追われた気分がフラッシュバックのように湧いてくる。
万太郎の胴乱は、ブリキ製だと勝手に思っていました。山背だよりの論評・蘊蓄など大変勉強になります。 hisa
返信削除hisaさん、私もブリキ製だと思い込んでいましたが、何枚かの写真を見ると縫い目があり革製のようでした。ただし、植物学教室のはブリキ製に見えます。
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