2021年7月31日土曜日

哀悼 益川敏英氏

   益川敏英氏のご逝去の報に接し著書『科学者は戦争で何をしたか』を読み直した。

 タイトルから受ける印象みたいに紋切型ではなく、当然のことだが、理論物理学者らしく実証的で論理的なその内容に再び感心した。

 それは科学者だけのことではなく、ハンナ・アーレントが指摘したアドルフ・アイヒマンの「悪の凡庸さ」に通じる、ということは、すべての庶民の「生き方」を問う内容なので、未読の方は蔵書に加えられるとよいだろう。

 今般は、多く語られている氏の諸論とは少し異なる小論を紹介してみたい。『原子力研究継続の必要性』というテーマである。私の紹介で変に誤解が広がると困るが、反対にあくまでも真理に向けてのみ誠実に追求する氏の面目躍如だと私は感じた。その内容は次のようなものである。

 ■ 私は原発反対派の中で少しスタンスが違います。そんな危険なものは使いものにならんから今すぐやめろと言えばかっこいいのですが、原発の問題はそれ程単純ではないと思っているからです。

  福島の事故を見るまでもなく、原発が安全に使える代物ではないということは分りました。けれど、今のような勢いで電気を使っていたら、地下資源は後300年でなくなってしまいます。代替エネルギーとして風力や太陽光があるじゃないかと言いますが、今の段階では電機は貯められないので安定供給が非常に難しいわけです。風力発電にしても、台風などで、設備が壊れやすく、やはり安定供給と言うには程遠いものです。

  今までの話と矛盾するようですが、だからこそ私はすでにある原発の安全性を担保する研究に十分にお金をかけてほしいと思っているのです。廃炉にするにも一流の技術が必要です。これは国のプロジェクトとしてやらなければいけないとも考えています。

  一方、原発に反対する人でも、ロケット打ち上げには手放しで喜ぶのではないでしょうか。宇宙開発でロケットを打ち上げ、太陽系の惑星のギリギリのところまで飛ばして、いろいろな未知のデータを取ってくる。実は惑星探査機には放射性物質が使われているものがあります。科学者の目から見れば、その仕組みに関してはなかなかうまい方法だと思うのですが、一般の人々はそういうことは知りません。もっとも、打ち上げる方もそんなことはあまり大きな声では言いませんから、反対運動も起りませんでした。

  しかし、その構造を知っている人間から見れば、打ち上げにはかなりのリスクを抱えています。もしその打ち上げが失敗して、上空で爆発したらどうなるんだという見方もできるわけです。宇宙開発に真剣に取り組むのなら、そうした問題もクリアしなければならない。そのためにも、原子力の研究は継続しなければいけないということです。

  当面の問題は今ある50数基の原発をどうするのかという課題です。使うにしても止めるにしても、まずは安全確保の研究が必須です。使用済み核燃料をどう始末するか、それも大きな課題として残っています。

  ・・・そうした問題をクリアするためにも、原子力の研究は必要なのです。原発事故を収束させるにしても、廃炉作業や廃棄物処理を進めるにしても、二流、三流の研究者しかいなくていいんですかと、私は今言っておきたいのです。いい加減な廃炉作業をされたら、それこそ恐ろしいことになります。

  ・・・これは人間の手に負えないぞと、最終的に原発を断念するにしても、原子力研究には資金と優秀な人材を投入してほしいと思っています。■

 どうだろうか。誤解を生みやすいテーマであるが、学者としては単純な「原発反対」だけでは済まないという主張は、氏の豊富な「原発反対」の行動に裏打ちされながら、我々に真剣な学習と思考を問うている。氏のご逝去は早すぎる。

2 件のコメント:

  1. 原発再稼働反対、増設反対を掲げ運動をしていますが、廃炉後のことを考えると避けて通れない大事な視点ですね。この記事に記事にハッとさせられました。

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  2.  素晴らしいコメントありがとうございます。そのように読んでいただくと嬉しいです。

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