2018年5月18日金曜日

スポーツマンシップ

 国会における虚偽答弁の数々が頭にあるせいか、日大アメフト部の反則問題から、私は、人間の生き方についていろんなことを思ってしまう。
 結論を急ぎ過ぎかもしれないが、チームプレイのスポーツで監督など司令塔の指示に従って行動すること全般を「不合理だ」と言うつもりはない。
 ただ、ルール違反あるいは違法な行動を指示された場合、「悪法もまた法なり」と言って従うのが正しいかどうかである。
 「そんな馬鹿な!」と場外から批判することは簡単だが、近畿財務局で自死した職員も、反則を繰り返した選手も可哀相で仕方がない。人生はそんなに簡単な問題ではないのだ。

 日大監督の「(選手の)私の指示の受け止め方が悪かった」という弁明に私は反吐を吐きたくなった。これが指導者のいう言葉かと。
 先日のレスリングのパワハラにしても、わが国のスポーツ界の上層部はスポーツマンシップとそれこそ「乖離」していないか。

 テレビなどではコメンテーターが「徹底した反省が必要」などと評論しているが、スポーツ界を歪めている責任の一端はマスコミにもあるように私は思う。
 スポーツの成績が大きく報じられることが学校経営に決定的な影響を与えている現実がある。
 「これでいいのか」という反省がマスコミにも必要ないだろうか。
 客観的に俯瞰すれば、日本人というブランド・品格が急速に低下しているように感じている。

 中学校の道徳の教科書に「監督のバントサインに従わなかった少年」を批判する記述がある。
 冒頭述べたように私はリーダーの指示全般を否定するものではないが、現代のこの国は、ただただ長いものには巻かれろと誘導されているようだ。
 学校教育の問題でもあろう。

 イェルサレムのアイヒマンは、ナチス政府の指示に忠実に従った凡庸な公務員だった。
 我々は子や孫に恥じない生き方をどう実践すべきだろうか。

2 件のコメント:

  1.  40年以上も前、4チャンネルでアメフト-アメリカのプロフットボールNFLの試合をを毎週放映していて、楽しみに見ていました。関学の武田監督(後に学長、理事長に)が解説をしていましたね。当時の日大の篠竹監督との「赤と青」の対決は見ものでした。名監督=フェアープレーを重んじる人であったように思います。
     ラグビーでもそうですがまかり間違えば命に係るプレーが生じるスポーツですから何よりも反則に対する罰則が厳しいスポーツです。
     ですから今回の日大アメフト部の危険なラフプレーは考えられないと思います。断じて許されないものです。
     ただ、今回の事件(?)に関する報道の異常な量の多さに何か意図的なものを感じるのですが?

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  2.  非常に感覚的な感想ですが、近頃の政治の右傾化と体育会系と呼ばれる情緒によく似た側面を感じます。成績のためなら少々のラフプレーは当然だというような。それは株式会社・財界の精神や与党の政治家の精神にも通じているように…。
     物理的に怪我をさせても許されるという思想は絶対に容認してはならないでしょう。

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