三木露風というと山田耕筰が後に曲を付けた詩『赤とんぼ』が有名だが、どういう訳かこの曲が多くの自治体のゴミ収集車の曲(チャイム)になっている。
もちろんうちの自治体もそうだが、わが家に接している隣の自治体もそうである。
だから「あっ、出し遅れた!」と飛び出すと隣のだったということもある。
こうなると人間の感覚は簡単に本末転倒してしまい、金木犀の香りをかぐと「トイレの臭い」と感じるように、赤とんぼは「ゴミの合図」となっている。
露風は幼くして母と別れ、子守の姐(ねえ)やに育てられたという結構辛い郷愁を詩にしたようだが、そこへ庶民の感情が行きつく前に「ゴミの合図」に行きついてしまうというのも露風には可哀相だ。
〽 夕焼小焼のあかとんぼ、負われて見たのはいつの日か。
山の畑の桑の実を、小籠(こかご)につんだはまぼろしか。
十五で姐(ねえ)やは嫁にゆき、お里のたよりもたえはてた。
夕やけ小やけの赤とんぼ、とまっているよ竿の先。
2番の歌詞に関して・・・、わが家の周辺、といっても相当広範囲には養蚕などは聞かないが、どういう訳か近所の道沿いに桑の木が生えている。
野鳥が植えたもののようだ。
そしてしっかりと桑の実が熟れているのだが、誰も採らないから道路を汚しているだけになっている。
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