母のある子は赤いカーネーション、母のない子は白いカーネーションを胸に着ける!などと言われたのはいつの頃までだっただろうか。
その昔、安全ピンの付いた造花のカーネーションが小学校で配られたこともあった。
昼食時に義母の老人ホームに行った。
母の日だからという特別の行事食ではなかったが、いつも感心するのだが、われわれ夫婦の朝食や昼食よりも品数も豊富で毎日が行事食のようなものだ。
一般に、高齢者が大腿骨骨頭骨折をして入院すると急速に寝たきりになると言われているが、この食事のおかげだろうか、短距離なら手をもって歩けるまでに回復した。
若い頃の鍛えられ方が違うと脱帽する。
ホームは病院ではないから、小さな缶ビールを持って行った。
「母の日、どうもありがとう」と乾杯した。
体調のすぐれない日々が続いていたが、ビールのときには嬉しそうな顔をした。
母の日や給食肴にまあ一献
いつも思うのですが現在の高齢者(戦争体験をした、私たちより上の世代)は質素な生活に耐え、国民病と云われた肺結核や胃がんなどを乗り越え、超高齢となって進歩した医療に支えられて更に齢を重ねていく。
返信削除それに比べて私たちより若い、今の働き盛りの世代の者たちは、富栄養化の生活の中で生活習慣病に晒され、果たして高齢に向かうのだろうか?と思います。
え?私たち世代はどうかって、それは知らん!
「健康オタク」になって日々の価値基準が「健康=寿命」だけになるのは面白くありません。
返信削除どこかに障害を生じて人の世話になるのは恥でも敗北でもありません。そのときは「可愛いお爺ちゃん」になれるかどうかですね。今はその訓練の年齢だと思っています。