2018年5月10日木曜日

鳥飼部は省略された

   4月12日に『歴史とりどり』というタイトルで今城塚古墳の「埴輪祭祀場」と名付けられている場所の大量の水鳥の埴輪について書いた。
 全体が葬送儀礼だという定説ではこの大量の水鳥の意味が解らない、これは大王が黄泉の国に向かう先導役ではないだろうかと書いたのだが、これといった証拠が見当たらず、書いた後も少し悶々と本を読んだり考えたりしてきた。

 写真にあげた小林青樹著『倭人の祭祀考古学』(新泉社2500+税)なども購入して読んでみた。
 しかし結論から言えば、私の疑問にドンピシャ答えてくれた文献はなかった。

   そこで遠回りだが、水鳥同様大量に並んだ馬の埴輪を考えた。
 葬送儀礼と言うが、これは前大王の葬送と引継いだ新大王の権威の誇示が目的だったと見ると、特に後者にかかっては当時の「騎馬文化」は時代の最先端、イノベーションのショーウィンドウだったのだから、飾られた馬が行進様に並べられていることが納得でき、どこかの国の軍事パレードを彷彿とさせられた。

 そしてそこで一番ハッとしたのは、馬子(まご)がいないということだった。
 ほぼ定説ではこれは「馬飼部(馬養部)の服属儀礼」と言われているが、それを馬だけで表現しているのである。なお、他の古墳出土の「踊る埴輪」は実は「馬を牽く人物」つまり「馬飼」だとも言われている。

 ということは、並んだ馬の埴輪が”それだけで”馬飼部の服属儀礼だとしたら、並んだ水鳥は鳥飼部の服属儀礼となる。ヤマト王権の各種部民(職業部)が葬送儀礼を担ったというのは当然すぎるほど当然な考え方だろう。

 それにしても、そもそも埴輪の造形は省略の造形とも言われているが、鳥飼部の行進を水鳥だけで表現するのは省略なのか横着なのか?古代人の感覚は解るようで私には解らない。
 で、100%納得したわけではないが、今では「鳥飼部の服属儀礼」説を概ね首肯している。悩んだ割にはわりあいつまらない結論にたどり着いた。ご批判を乞う!

1 件のコメント:

  1.  「水鳥埴輪」と「鶏埴輪」は全く思想が異なるようだ。「鶏埴輪」については別途記述したい。

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