ドクダミは十薬とも呼ばれているが常識的には雑草の範疇ではないだろうか。
私のイメージでは、ハイキングで人里を離れた途端、靴が蹴飛ばすドクダミの匂いで「山道に入ったな」という気分が膨らんで決して嫌いな匂いではないが、多数決をとれば圧倒的には「臭い」と言われる。
その花は匂いに似合わず可憐である。
ユキノシタにはドクダミほどの個性はないが、これもハイキングコースの道端の雑草だろうか。
そしてドクダミもユキノシタも繁殖力が旺盛で、わが家の庭ではどちらかといえば厄介者である。
つまり、見つけ次第抜いて捨てているのだが退治できていない。それが値札を付けて売られているのである。
世界は広い。
こんな時代に多様な文化や価値観を想像できず、「戦前レジーム」で諸外国や国際問題を語る大臣(おとど)方は退場された方がよいとしみじみ思った。。
さて、是枝監督はカンヌ公式上映後に要旨こう述べている。
2010年、足立区で111歳とされていた男性が白骨化して発見され、実は30年以上前に死亡していたことが発覚。死亡届を出さずに年金をもらい続けていたとして、家族は後に詐欺で逮捕される。この足立区の事件を皮切りに全国で相次いで類似の事件が発覚し、“消えた高齢者”として社会問題化。年金詐欺として大きなバッシングを浴び、数年後には生活保護バッシングとなったが、『万引き家族』の主人公一家は現在の日本で決して特殊な存在でない。
日本は階層間の両極化が進み、政府は貧困層を助ける代わりに失敗者として烙印を押し、貧困を個人の責任として処理している。映画の中の家族がその代表的な例だ。
しかし、いまの日本社会ではこうした失敗者は存在しないものとして無視され、浅薄な“家族愛”ばかりがやたら喧伝されるようになった。
しかし残念なことに、メディアでは日本人によるカンヌ最高賞受賞という快挙を大々的に報じているが、こうした作品の背景にまで踏み込んだ報道はほとんど見られない。
「伊勢の浜荻」を理解しようとするのが知性なのではないだろうかと考えるのだが。
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