私は働いていた当時、「朝は大きな声でおはようございますと言って入ってきなさい」と言うので有名だったから、妻などは「今やったらパワハラで訴えられてるで」と笑うのだった。
仕事は多分に個人請負のように取り組むのだが、チームプレイの要素は目に見えないところで重要で、お互いに気配りすることが職場では大切だと考えている。
だから就職してきた大人ばかりだったが、若い職員には親になった気持ちで仕事の流儀を教えたものだ。
一方、職場にはいわゆる体育会系の旧弊も残っていおり、その種の「強制」は排除に努めてきた。そういう負の「統制」とあってしかるべき「集団行動の秩序」の峻別も言うは易く難しい問題だ。
いやいや中間管理職もけっこうしんどいものだった。
以上はいわゆる「まくら」である。
森友学園の幼稚園では園児に軍歌を歌わせ教育勅語を朗誦させている。
ちょっと見た目は「躾の行き届いた行儀のよい子」に見えたかもしれない。
事実、安倍首相もその夫人も、国会での追及が進むまでは「立派な教育方針に感心し賛同」していた。
「おばはんにこんにゃくを投げ返した」という鴻池参議院議員も教育方針に賛同していた。
国会審議の中では教育勅語の朗誦について「何が悪い」と与党席から少なくないヤジがあった。
維新の橋下徹は「教育は2万パーセント強制だ」とツイッターで述べていたが、これらの人々には教育論、人間論が欠けていないか。欠けていないとすれば歪んでいないか。
彼らは北朝鮮のパレードを見て、「躾の行き届いた行儀のよい立派な国だ」というのだろうか。
どちらかと言えば「保守派」だと思われていた歴史家の半藤一利氏が「昭和一桁に似てきている日本」ということで述べているところでは・・・、
私が昭和一桁の歴史から学んでほしいなと思うのは、まず教育の国家統制が始まるとまずいということです。それから、情報の統制が始まるとこれがいちばんよくない。そうすると、あらゆる面で言論が不自由になってくるわけで、ますますよくない。さらにテロ、こうした順で社会がおかしくなってくることなんです。
それでは、いまの日本はどうかと言うと・・・・いまの日本には怪しい兆候が出ているなと思うんですよ。・・・とある。
私は半藤一利氏がイの一番に教育の国家統制をあげておられるのを読んで、さすが歴史家だと感心した。
つまり、安倍晋三以下先にあげた人々は、人の意見を「自虐史観」などとレッテル貼りする以前に、理性的な昭和史を勉強し直すべきだろう。
自民党内閣は、「先の15年戦争が侵略戦争であったかどうかは後世の歴史家が判定することだ」と表面上は言いながら、身内の集会等では「自存自衛の戦争だった」と度々発言している。
表面上のこの論は当然の帰結として「ナチス、ヒットラーの行った戦争も侵略だったと定義するのは難しい」という発言になり、世界中で嘲笑されている。
「安倍晋三記念小學院」で露わになった歴史の捏造と戦前回帰への教育を絶対に許してはならない。
鹿も酔う馬酔木の花や二月堂
奈良公園は今、梅、椿、馬酔木(あせび)が綺麗です。
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