標題は、正しくは「手にとらでやはり野におけれんげ草」だが、スミレであっても許されるような気がする。
真冬並みの寒気であっても日照時間のせいか半分野生のスミレが順番に咲き始め、文句なく春を感じさせる。
お水取りも終わって春だ!と叫ぶのに遠慮もいらない。
来年は孫の凜ちゃんを連れて「達陀帽(だったんぼう)いただかせ」に行こうと思う。
修二会繋がりで街路樹の椿も輝いている。「照葉樹」とはよく言ったものだと常々感心している。
木偏に春もいい。
次に、毎年この時期に紹介しているのが沈丁花で、大阪市内辺りではきっと満開だろう。満開かどうかは鼻で判る。
「花は丁字に似る」といわれるが、あまり同意できない。
ただし、「芳香が沈香」というのは100%同意。
だが、華やかな香りというよりも、浅春の少々メランコリックな香りである。
来週、OB会の堺市街の遠足で、百舌鳥古墳群の解説をせよという宿題を与えられている。
先日から手を付け始めたが、全く予想外に難渋している。
部屋中に何十冊という本を広げて摘まみ読みしているのだが、大先生方100人100説の感じがする。
大山(だいせん)古墳の方! 貴方はいったい誰ですか?
行く雲や花あい似たり沈丁花
唐代の詩人、劉希夷(651~680?)の「白頭を悲しむ翁に代わりて」と題する詩の第4節。
返信削除古人復洛城の東に無く
今人還対す落花の風
年年歳歳花相似たり
歳歳年年人同じからず
言を寄す全盛の紅顔の子
応に憐あわれむべし 半死の白頭翁