前回の記事で私は故大西良慶師の言葉を引いて、「宗教(仏教)もこんな風にとらえてもいいのではないか」などと偉そうなことを言ってみたが、今日読んだ矢崎泰久編『永六輔の伝言』では、腰を抜かしそうな永さんの行動力を知った。
師匠であり友人であった三木鶏郎さんが晩年、永さんに「この病気は先がないから、葬儀委員長は君がやってくれ。葬儀の方法も決めておきたい」と何度も頼んだらしい。
「キリスト教的な葬儀にしてお経はやめてほしい。ソプラノの『アメイジング・グレイス』が流れる中、出棺したい」そんな希望を永さんに託した。なお、永さんはお坊さんである。
そして訃報に接した永さんは、ソプラノ歌手の中島啓子さんに歌ってくれるよう頼んだ。
だが、「うちは仏教だから、そうはいきません」とご遺族から反対されてしまった。
葬儀は青山斎場。お坊さんが10人くらい並んでいた。
それでも鶏郎さんとの約束をどうしても果たしたかった永さんは、「お経が始まったら、一番後ろから勝手に歌いながら、祭壇の前に出てきて最初にお焼香してよ。僕がその後に続いてお焼香するからね」と啓子さんにそう頼んだ。鶏郎さんなら許してくれると思い。
読経が響く中、やおら啓子さんが『アメイジング・グレイス』を歌いながら堂々と祭壇に向かい、項垂れながら永さんがその後を歩いた。
「読経とソプラノの声が張り合い響き合うので物凄い迫力で、素晴らしいお葬式だったと多くの人が喜んでくれた」と本には書かれていた。
書かれてある一つ一つのことにコメントをする気はない。
ただ、砂漠のようだと例えられる都会にあって、全く縁のなかった方々に気楽に立ち寄ってもらえるお寺にするには、永六輔さん的な豊かな発想と行動力があってもよいように感じただけである。
集英社新書『永六輔の伝言』は面白かった。
百均で玩具買うかな春時雨
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