2017年3月11日土曜日

6年目の3.11

   6年前の3月11日、私は奈良市内の古いビルの4階にいた。
 地震発生時刻は14時46分。大阪が揺れたのは49分。奈良もそれぐらいの時刻だっただろう。
 立って話をしている講師は気付かないようだったが聴衆は互いに顔を見合わせた。
 受付の方がスマホの情報で「東北で大地震」と教えてくれた。
 私の母が「関東大震災のときに堺で揺れた」と言うのを信じていなかったが、今では本当にそうだったのだろうと信じている。
 
 15時終了で急いで帰ると、電車の乗り継ぎが良かったのか15時30分頃には家に着いた。
 ここから、テレビにへばりついてヘリコプターからのライブ中継を見た。
 それは地獄絵図の生中継だった。
 いろんな思いがあるが、津波に呑み込まれてゆく人の生中継は衝撃的なショック(心理的負荷)だった。
 あとから話をすると、この生中継を生で見た人と、夜のニュースで見た人との間には衝撃度に相当な違いがあるように思う。
 そしてフクシマ第一原発が全電源喪失しメルトダウンした。

 東日本大震災の死者は15,894人、重軽傷者は6,152人、届けられた行方不明者は2,561人、震災関連死は3,472人、避難者は当初約47万人、29.2.28現在約12万3千人、長期避難者の多くは原発事故関連と思われる。
 あれから6年、仮設等避難先の小学校で入学式をした児童はそこで卒業する。
 6年といえば、小学校高学年プラス中学校、あるいは中学校プラス高校という時間になる。「経済大国」と豪語してきたこの国の政治はこの程度なのか。
 衣食住の住が固まらないままの6年と、子どもたちの将来設計が定まらない心的ストレスはお金では換算できない。

 ただ、福島の農産物は出荷前に全量放射能検査をし、すべて基準値をクリアしているという。
 一方では、除染されていない山林から風雨によって農地に汚染が広がっているという報道もある。
 安堵できる報道を信じて風評被害に加担したくない気持ちはやまやまだが、政府や東電の嘘に継ぐ嘘を考えると冷静にみて疑問は多く残っている。
 今日は3.11、その辺りをじっくり勉強したい。

 3.11の最も深刻な性格は原発事故である。
 「メルトダウンはしていない」「直ちに身体に影響はない」と何万回と聞かされてきたが結局メルトダウンを否定する人間は一人もいなくなった。
 ただ、メルトダウンの正確な状況は今でも判らず、廃炉計画は遅々として進んでいない。
 話は飛ぶが日本の原発の長男とでもいえる東海村の核燃料再処理施設は結局機能せずに廃炉と決まったが、メルトダウンでないここの放射性廃棄物の処理だけでこれから70年はかかると言い、費用は判らないという。

 「風化させてはならない」という言葉はよく聞くが、SNSの世界でも情報量は低下している。
 続出する政府の悪政のせいもあるが、3.11ぐらいは皆フクシマについて発信してほしい。

   修二月会俗世を叱る沓の音

2 件のコメント:

  1.  私の6年前の今日3.11は、まだ現職の時で長谷やんと同じ様な会議中でした。「東北で大地震が発生した。高知県にも津波警報が出ている。」と総務の人が息を切らして報告に来ました。私は須崎市と言う地形的に津波の被害を受けやすい地域に住んでいるので、高い所を走れる高速道路を使って帰宅しました。後の報道で知りましたが須崎市の津波は西日本1の2.6mあったそうです。翌朝近くを流れる川の河原に鯉がたくさん打ち上げられていました。
     3.11のテレビの映像を見て驚愕しました。そして今思うことは、「どんな不自由なことがあろうと原発はいらない!!」という事です。

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  2.  バラやん、貴重なコメントありがとうございます。
     ほんとうに原発はいりません。

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