2014年9月30日火曜日

音楽いろいろ

 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史~創られた「日本の心」神話~と題する輪島裕介氏の講演を聞いたが、自分が渦中にあって見聞きし生きてきた時代を1974年生まれの(私よりは)若い学者に分析、解説してもらうのは不思議な感じがした。
 「戦後大衆音楽史」などは大学生にとっては新鮮な話かもしれないが、私などには、「そう、そう」「そう、そう」「そうでした」と頷く以外の対応が思い浮かばなかった。
 ただ、1960年以降、それまでレコード会社専属契約スタッフによる作詞作曲、演奏、流通、小売りであったものが、芸能プロダクションや音楽出版社、放送局によるものに変わっていった、そういう中から、戦前や戦後初期のタイプとは別の新しい音楽が生まれてきただとか、その中のひとつが「演(艶)歌」であるとの話は、「そういう見方もあるのか」と参考にはなった。
 だが、私が聞いた(受けとった)氏の話のひとつの核心部分が、『戦後初期の旧左翼は中産階級の知識人だったが、そういう旧左翼が「最も嫌ったもの」をこれみよがしに新左翼が称揚した価値転覆効果が「演(艶、援、怨)歌」のブームを作った』的な分析は、非常に一面的ではないかと納得し難かった。
 個人的に振り返ってみても、その頃の関心はもっぱらアメリカンポップスで、そうでない邦楽に限ってもザ・ピーナッツがいて、フォークの「若者達」があり、「高校三年生」を歌った後で「お座敷小唄」を歌っていた。そんなものでないだろうか。
 氏の分析は、少し五木寛之氏の小説の影響を受けすぎていないか?

 流行歌の分析なら、夏目誠著「流行歌(うた)とシンドローム」(中災防新書)という方が、時代(経済社会)の特徴的なストレスと流行した歌詞との関係を的確に指摘していて、~メンタルヘルスへの誘い~という副題も併せて大筋では納得させられた。
 それにしても、人生いろいろ、・・・流行り歌の定義づけのような話には「世の中、そんなに単純ではないぞ」というような気分が今もある。

 閑話休題、
 テレビの娯楽番組を見ていたら、料理のシーンで何回も 〽らーららー らららららーと美しいヴァイオリンの曲が流れてきた。
 妻も私も「聞いたことのある曲やなあ」「なんていう曲やったかいなあ」と顔を見合わせた。
 もちろん、しばしば人の名前も出てこないような初老の二人であるから、何日も「なんやったんかいなあ」が続いた。
 私は、そのきれいな旋律から「セミクラシックの曲で、有名なドラマの挿入歌で使われてたんと違うかなあ」と言い、妻は「何かの番組でハワイアンのように踊っていた曲と違うかなあ」と、また何日も顔を見合わせた。
  そして、息子ファミリーが来たときに「こんな曲なんやけど」と鼻歌を歌ったら、息子夫婦から「お好み焼き」「てっぱん」とすぐに答えが返ってきた。妻も私も聞いたことがある筈である。
 あの、ちょっとイチビッた朝ドラ「てっぱん」で、オープニングかエンディングに各地のみんなが気ままに踊っていた画面と、何にもなしに流れてきた美しいヴァイオリンの曲とが頭の中で一致しなかったのだ。

 そんなこともあり、人にとって、最初にどういうシーンと一緒にインプットされたかということも個人にとっては非常に大事なことで、そこから離れた絶対的な音楽の定義などに何の意味があるのだろうか。と、素人は思っている。
 普通には特別でもない曲が、ある人にとってはある記憶と強く繋がっていて‟泣ける曲”だということはよくあることで、そういう意味でも輪島講演に私はもう一つ共鳴しなかった。
 
 ※ 「てっぱん」のテーマ曲「ひまわり」は、葉加瀬太郎作曲のインストゥルメンタルで、朝ドラのことなど度外視して聞くと美しい曲である。

2 件のコメント:

  1. 私のベストスリーは、1位-「ちりとてちんーメインテーマ」 2位-「てっぱんーひまわり」 3位-「あまちゃん-オープニングテーマ」です。

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  2.  ひげ親父さんのコメントを読んで「ちりとてちん」のテーマミュージックを思い出そうと思っても出てきません。妻も同様です。ということでyou tubeで聴いてみましたが、なるほど美しい曲でした。
     本文にも書いたことですが、私的には「ちりとてちん」の頃は仕事上『名ばかり管理職』であまり楽しい想い出が残っておりません。だからでしょうか、この音楽の優しい美しさも全く記憶に残らなかったのでしょう。
     その上にこのドラマは最後の最後に女流落語家の道を諦めて主婦になったのですから、主婦が悪いというわけではありませんが、あまりのあっけない結末に拍子抜けしたものです・・・。
     繰り返しますが、今聞いてみるといい曲ですね。

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