家で探してみると、あるにはあったが、昭和30年代の我が家の辞書はすべて旧仮名遣いのものだった。
だから、「これからの時代に使える新仮名遣いの辞書が欲しい。」と私が言ったら、母親が大奮発をして了承してくれて、出版関係に勤めていた従兄の「兄ちゃん」に依頼をして購入してきてくれた。
それが、三省堂の大明解漢和辞典で、A5版で厚さ6.4センチの本格的なものだった。
しかし、小学生の私は「みんなが持ってる普通のコンパクトな辞書が欲しかった。」と不満顔であった。今から思うと何と贅沢なと思うが小学生はそう考えた。そういうものである。
そして結局、この辞書は私の漢和辞典として今もお世話になっている。今は感謝している。
後年、子供のためにコンパクトな角川『新字源』を買ったが私の主たる漢和辞典の座は『大明解』が占めていた。
さて、・・・話の始まりは実につまらぬ些細なことだった。
部首に関わる漢字パズルを解いていて、私のとりあえずの解答をこの辞書で確認してみると、ガタガタガタと私の答えが音を立てて崩れてしまったのである。「いったいこれは何だ!」
「漢字は日本語である」を著した小駒勝美氏の文章で知ったのだが、私の持っている三省堂・長澤規矩也・大明解漢和辞典は、部首の分類と配列を大幅に変えた、その世界では‟有名な”超少数派の辞書だったのである。ということをこの歳になるまで全く知らなかった。(学生時代に気づけや!との声が聞こえるが。)(余談ながら、小学校のときに大きな影響を受けた教頭先生は「ひらがな主義者」であったため、純朴な教え子はどうも漢字は苦手なまま今日に至っている。)
ということでこの辞典の前文のところを読むと、「従来の辞典は部首の‟意味”で分類していたが、漢字の読みや意味が解らないから辞書を引くのであって、それでははなはだ使いにくい。よって、基本的に冠や偏から引けるようにした。」と長澤規矩也氏が強い自信を込めて書いていた。
確かに、パソコンの「手書き検索」に通じる便利で画期的な方法で一理も二理もあるが、千九百年前の『説文解字』に始まり、近くは清の時代の『康煕字典』に引き継がれてきた部首の概念を理解し難いものになっている・・と、小駒氏は指摘している。(説文解字の時代は甲骨文字等の研究がなかったため、中には誤りもあり白川静氏が批判している箇所も少なくないが、その基本的な理念は概ね定説となっている。)
・・・・・それ故、長澤規矩也・大明解は、具体的にいうと、犬は大の部に配列されている。
となると、白川静さんなら「大の字は手足を広げて立つ人の形。・・人と犬を一緒にするな!」と目を剥いて怒っていただろうと推測する。故人なので推測だがきっとそうに違いない。絶対に間違いない。
恥ずかしい話だが、この歳になるまで「漢和辞典なんてどれもこれもどっこいどっこい」と思っていた。
当たり前だが、漢和辞典にも「舟を編む」の世界があったのだ。
そんなあれこれを語りながら、「古本屋で白川さんの漢和辞典・字通を探しても、ほとんど安くなっていないので後ろ髪を引かれながら何時も帰っているのだ。」という話を妻に語ったら、「そんなに欲しいなら字通を買ってあげる。」とのお言葉を戴いた。漢字パズルに当選した以上の賞品である。
しかし、いざ本格的な漢和辞典をもう一冊購入するとしたら、これは「一生モノ」のものである。
そのため、各社の本格的な漢和辞典をこの際もう一度比較しようと思ったのだが、意外なことに書店にはなかなか揃っていない。近くの図書館もまた同じ。
なので、国会図書館に行くとさすがここには取り揃えられていた。
それを見て、これもこの歳になって初めて知ったのだが、ほとんどの漢和辞典は漢籍つまり中国語の古典を読むためを思って編集されているのだった(今頃何を言うておるのか。はい)。
とすると、私が今後本格的に漢籍を紐解くこともないだろうから、2万円強の字通は正直に言って私にはもったいない。
新潮日本語漢字辞典 |
主たる理由は、秋桜のような和製熟語、団栗のような訓読熟語を拾い、用例を近代文学から拾っていて、かつ部首の分類と配列、つまり索引方法は従前を踏襲しているからである。
さらには、解字の基本を『説文解字』依拠ではなく、白川静説に依っていることも嬉しい。
パラパラと頁をめくった程度だが、非常に気に入っている。
妻はよく私を「安物(やすもん)買いの銭失い」と嘲笑するのだが、これについてはそうは言わせない。
本を一つ買っただけのことだが、非常に高揚感を味わっている。
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