「災害列島」のコメントにも書いたが、「自然自体に善い自然も悪い自然もない」という言葉を此の頃噛みしめている。
さて、大荒れの豪雨の後、いっぺんに秋空が現れた。
そうすると、「そんな花がそこにあったん?」というようなところから秋の花が咲きだした。
その変化が感動的だ。
花ではないがヤマボウシの実も存在を主張し始めた。
美味しい果物が豊富にあるから敢えて食べる必要もないが、ひょいと摘んで齧るとほの甘い。
口中に香りが広がるというようなものではないが、いわば野趣が広がる。
自然は人間に豊穣ももたらすが期待にそっぽを向いたり、ときには恐怖の対象となることを、この夏は嫌というほど思い知らされた。
奈良県下の寺院、神社、天理教、立正佼成会等の方々が集まった『奈良県宗教者フォーラム』というのがあったが、盛んに一神教と対置させて、我が国の宗教の寛容性や、自然の奥に神仏を見る畏敬の念の今日的意義が強調されていた。
一神教を切って捨てることもないと思うが、主旨には共感を覚えた。
年寄りは自然と馴染んで生きるのがよさそうだと此の頃感じている。
社会問題ばかりに目を向けていると心が痩せ衰えるような気がするのはどうしてだろうか。
この頃、モンシロチョウはそれほどでもないのに、アゲハ蝶が非常に多い。異常に多い。
小さい頃の思い出で言えば、蝶といえばモンシロチョウであり、アゲハが飛んできたら興奮して網を振り回したものだった。それがどうだ。
① 多くの人が庭にアゲハの喜ぶ柑橘類を植えたから? ② モンシロチョウの喜ぶキャベツ畑等の農薬のせい? ③ 温暖化?(モンシロチョウは温帯・亜寒帯、アゲハチョウは熱帯に主として棲息) ・・・夫婦で話し合ってみたが正解は解らない。
金柑に小さな幼虫がいたが放っておいたら大きくなって飛んでいった(のだろう)。これが原因ではなさそうだし。
先日来、デング熱騒動で代々木公園を封鎖して思いっきり殺虫剤を噴霧していた。
あれで、蚊以外のどれほど多種多様な昆虫が殺されたことだろう。
濃度によっては野鳥やコウモリにも被害が及ぶ。
感染源を断つということは否定しないが、今後の対応については学際的な議論もほしいと思う。
去年でもデング熱の患者は二百数十人発生していた。
ペットのダニでは毎年死者も出ている。
ほんとうに近頃のニュースの取捨選択は不思議である。
さほどでないニュースが繰り返される裏側で、ほんとうに大切な報道が隠されてはいないだろうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿