2014年9月8日月曜日

小望月

日の入り前だというのに窓の外には名月が
  亡くなったイザナミの黄泉の国から逃げ帰ってきたイザナキが禊(みそぎ)をし、左目を洗ったときにアマテラスが、右目を洗ったときに月読(ツクヨミ)が、鼻を洗ったときにスサノオが誕生した。
 三種の神器はこの三貴子を体現しており、アマテラス―八咫鏡―伊勢の内宮、ツクヨミ―八尺瓊曲玉―宮中、スサノオ―草薙剣―熱田神宮・・となっている。
 ところが、上述のとおりの記紀神話中の重要課題に関連して、アマテラスとスサノオの大活躍は記紀のその後や風土記に縷々述べられながら、一人ツクヨミだけは「夜が支配する国を治めよ」とイザナキに命じられ天に送られたと記されているだけである。
 故にその謎を指摘する大著も少なくない。
 私は、戸矢学著『ツクヨミ、秘された神』という本を楽しく読んだ記憶がある。

 ところが、このようにツクヨミに冷淡な記紀神話が一方にありながら、平安貴族以降の日本人は太陰暦をベースに生活を飾り、月を眺めて日本最古の物語を作りだしたというのも更なる謎のひとつである。
 太陽暦絶対信奉の現代人の多くは月の満ち欠けに関心を忘れ記紀神話に先祖返りしたようだが、私はツクヨミ派・竹取派に属したいと思っている。
 蛇足ながら8月15日(もちろん陰暦)が仲秋の名月であるが、先人たちは名月の前後だって、十三夜(じゅうさんや)、小望月(こもちづき)、十五夜、十六夜(いざよい)、立待月(たちまちづき)、居待月(いまちづき)、寝待月(ねまちづき)、更待月(ふけまちづき)と楽しんだ。
 こうして、科学技術が発達した現代が、江戸以前の人びとに比べて豊かで幸せかどうかについて私はハテナと立ち止まって首をひねっている。
 

 7日、孫が来てくれるというので義母も呼んで仲秋の小望月のお月見をした。
 薄を飾り小芋を供え、関西風の月見団子をお供えした。

 だが孫に月の出までお団子を食べるなというのは酷になる。
 それならこうすればいいと妻が二階の窓からボールを吊り下げた。そして、私のお月見の開会宣言に合せて二階で妻がそのボールを静々と一階の窓の中間まで引き上げた。
 で、皆が納得した上で、「お月見終了!食べてよし!」と私が宣言してお団子は見る間に減っていった。
 夕食後、煌々と輝く小望月を眺めて小さな幸福感を噛みしめた。孫も名月の迫力に感じ入っていたようだった。

6 件のコメント:

  1. 霞み越しの名月、ここは爺バカと賢婆の連係プレーに脱帽です。
    -名月をとってくれろと泣く子かな-ですな。

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  2.  似たもの夫婦と笑ってください。「こうやったらええのんちがう」と妻がゴソゴソしはじめた時には、私の方が感心しました。夫バカですか。

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  3.  関西ではお天気に恵まれて「十五夜お月さん」がきれいです。しかし、満月は明日9日の10時ということです。十五夜とは月齢(14日を含む暦の日)で決まり、満月は太陽との位置関係で決まるからこうなるのですね。
     ちょっと待ってくれ! 一般に望月=満月の意なら、今年は8日が十五夜で小望月??? 9日が十六夜で望月??? 古い天文年鑑を引っ張り出しても書いていない。 というようなことに悩むことが現代人のつまらなさでしょうか。
     「昔から十五夜(陰暦15日、月齢14日)のお月さんが望月で満月でええんや」というのが庶民の大正解だったのでしょう。 間違っていたら何方かご教示ください。

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  4.  長沢工著「はい、こちら国立天文台」という本を引っ張り出したら、「新月は必ず陰暦の1日=月立ち=ついたちだが、満月は15日とは限らず17日もある」ことがしっかり説明されていた。
     しかし、その場合の望月の定義については書かれていない。十六夜等の言葉の解説もあるのに「それは国語の先生に聞いてください」ということだろうか。

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  5. 「待宵」-中秋の名月の前夜、月見が花見のように庶民の楽しみであった昔、名月の夜が楽しみで待たれました。小望月とも。
    「十六夜」-陰暦16日の夜、十五夜よりおよそ50分遅く、いざよい(ためらい)ながら上るためと云われています。-「宙ノ名前」(光琳社出版)
    その50分の遅れは、「旧暦と暮らす」(松村賢治著)に「月の公転速度は、地球の自転速度より、1日に50分前後遅いため、干満の時刻は50分ずつ遅れていく」と、これは満月、新月の際の潮の干満の事を説明している部分ですが、何かのヒントになりませんか。
    こんな事を考えながら、夜更かしをするのも満月のなせる業かもしれません。

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  6.  ひげ親父さん、御示唆ありがとうございます。
     『旧暦で読み解く日本の習わし』という本には、「晦日と朔日には月が見えないから、昔の人は細長い三日月が出ると、それから2日遡った(さかのぼった)日を朔日と知ったので、遡るという意味の朔日と名付けた」とあります。限られた陰陽博士以外の庶民にはそうだっただろうと納得します。
     とすると、「十五夜と満月の日にちがずれた」などというつまらない問いを考えるずーっと以前からあった『望月』という概念は、文句なく『十五夜の夜の月』であったに違いありません。古語辞典等でも傍証できます。
     だから、本文に書いてタイトル名にもした『小望月』は陽暦7日(日曜日)の月で間違いなかったのでしょう。やれやれ。

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