この4月に友人が、およそ10時間に及ぶ竹本住大夫引退公演『菅原伝授手習鑑』の通し狂言を国立文楽劇場まで行ってきたというのに比べると私は、何回か観に行った事があるという程度のど素人だが、ただ小さい時から「大人になって時間に余裕ができたら義太夫は是非習ってみたい」と思っていたという隠れ文楽ファンであった。・・・・が、結局果たせないまま今日に至っている。なんとも情けない。
というように熱く文楽を語る気もないし語ることもできないが、『大阪の本屋と問屋が選んだほんまに読んでほしい本2014年度選定作』と銘打って、本屋の店頭に「三浦しおん著『仏果を得ず』と『あやつられ文楽鑑賞』」が並べられていたので条件反射のように購入した。
気力が弱り、重い小説がしんどくなった身には、三浦しをんの小説は丁度よい。文句なく楽しい。
さて、俳優の演技がツボにはまると、世間ではその俳優個人が悪人であったり軽薄であると誤解が広がる。
歌手も、ほんの数時間前に悲恋の恋が終わったかのように聴衆の心を操る。
さて文楽は、人形と三味線と義太夫語りで芝居が進むが、その多くの台本(床本)は江戸時代のもので、結構荒唐無稽である。だから、そういう複雑な舞台に聴衆の深い納得を得るためには、(文楽の)主人公の性格や考えをどう理解するかに(小説の)主人公健大夫は悩みかつ挑戦するのである。
その過程を、現文楽の世界や作品である文楽と絡ませながら小説が展開される。
三浦しをんは巧い。
ガイドブックを読んで山に登った気になる・・釣りの本を読んで釣った気になるのが私の悪い癖だが、小説を読み終えた時には、自分が義太夫を語り終えて見台の床本を頭に戴いているような十分気分の良い心地になった。
ただし、大阪弁から外れたら「こらっ!訛ってる」と怒られる文楽の世界で、「今頃は半七(はんしつ)つぁん」と振り仮名を打つのだけは止めにしてほしい。双葉社さん。
「いまごろは、はんひっつぁん」で「どこでどうして」に流れるのであって、文字で読んでも「はんしつつぁん」では「文字が訛っている」。
こんな振り仮名が世間に広められたなら、文楽に生きた諸先輩方が仏果を得ることもできないだろう。べんべんべんべんべん。
意図的な朝日新聞攻撃には一切関係ないが、私も朝日新聞の誤報を見つけたことがある。それは、上方唄の『松尽くし』を紹介している中に、「七本目(しちほんめ)には姫小松」とわざわざ振り仮名を打っていたからである。「一本目は池の松」「二本目には庭の松」・・・ときて「七本目(ひちほんめ)には姫小松」で言葉遊びが成立するのに、この振り仮名は何だとメールで指摘したが返事はなかった。べんべん
返信削除こんなんは「誤報」とは違うカテゴリでしょうけど。上方文化を論ずる場合には重要なことやと思います。べんべん
返信削除双葉社が浪花の本屋さんやったら「かかる不幸は無いものを~」べんべん、
返信削除国立文楽劇場の舞台の天井近くには大夫の語りを大阪弁で正確に映し出すスクリーンがあります。最初の頃は舞台の人形の動きとスクリーンをせわしく交互に見ていましたが、ある時、「文楽は耳で観る芸能や」と思い、最近は、大夫さんの語りをスクリーンを見ずに集中して聞いています。よろしいな~あの語り。
ひげ大夫さん、コメントありがとうございます。「よろし~なあ」は同感です。
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