2012年12月14日金曜日

はるかなるミャオ族

  先日、町内会の餅つき大会が無事終了した。
  20臼近くの餅つき大会だから、結構盛大なもので、「餅つき大会顧問」としてはホッとしている。
  昨年までは、「貴方搗く人、私食べる人」的な感じがあったので、今年は、実際の作業に参加してもらおうとひっきりなしに大きな声でお誘いし、ちょっとはそのようになったように感じている。
  総じて高齢の男達は暖をとるのを兼ねて「カマド奉行」にたくさん集まり、また昔を懐かしんで餅つきそのものの参加率もよかった。
  奈良公園などを歩いていると婆さんの逞しさだけが否に目立つが、餅つきは貴重な爺さんの活性化策だったんだ。
  また、若いご夫婦などにも私が強引にお誘いし参加してもらって盛り上がったが、しかし、中には綺麗な服を着てお餅を貰うだけの母子も少なくなかった。ああ~!
  でも、昨年よりも子供達が無邪気に参加してきたので、少し冷めすぎ状態まで思いっきり搗かせてあげたり、餅つき途中の白蒸し状態や半殺し状態のものも「ナイショ」と言っていっぱい食べさせた。こういうイレギュラーなことこそ子供達には楽しいものだ。だから、搗きあがった臼にこびりついたお餅も「おいしいぞう」と言って食べさせたら素直に喜んでくれた。うん、これならこの民族の将来も悲観することはない。
ミャオ族の餅つき(ネットから)

  穀物を・・粉にして、丸めて、蒸したり茹でたりする料理法は世界中にある。
  しかし、穀物を・・蒸して、搗いて、丸めるお餅はあまりない。
  我が国の文化の大きな源流である中国の中原や朝鮮半島にも(古くは)ない。
  その故郷らしきところは、中国南方から東南アジアにかけてのミャオ族らしいように私は思う。
  鮨、納豆、魚醤のルートと重なる。
  その伝達の主人公は、漁師か、交易商人か、ボートピープルか、勉強もせずにただ空想するだけで楽しい。
  テレビで見たミャオ族の棚田は文句なく私達に郷愁を感じさせないか。

  その昔、原水禁世界大会に参加したとき、モンゴル、朝鮮、中国、ヴェトナム、スリランカ等々の参加者の顔を見たら、確実にそれぞれその民族らしい特徴があった。
  なのに、同時に思ったことは、そのそれぞれと同じ顔が日本人の中にあるということ、つまり、間違いなく我々はアジアの偉大な混血児だという感想を抱いたことを思い出す。その祖先としてミャオ族もしかりである。(シベリアや中央アジアにも同じ顔の人々が多い。)
  偏狭な人種・民族主義を主張しようとは思わないが(帰化した方やハーフ等の方々を無視しているわけでは決してないが)、そう、間違いなく我々はアジア人なのである。
  これは当たり前のことではあるが、選挙演説を聴いていると、この人は自分をアメリカ人だと信じきっているような党首等が少なくない。
  それはパートナーこそドイツ・イタリアではないが、7~80年前にこの国が誤った大きな勘違い(脱亜入欧)の再現のように思えてならない。
  そのアメリカは今、経済大国であるとともに大貧困大国である。そして大軍事大国であることは言うまでもない。
  そんな中で、日本共産党が「日米安保条約でなく日米友好条約を!」と言っているのはこの国の理性だと私は思っている。

2 件のコメント:

  1.  長谷やんさん こんばんは。
     息子が剣道を習っている時、道場で年末に餅つきがありました。竹刀より重い杵なのに、無茶苦茶に力まかせにする子供もいてたので何本も杵の柄を折ったり、4回位でつきあがったり、大勢ですると楽しかった思い出があります。
     この時の子供たちは、ほとんどが成人しています。今度の選挙に足を運んでほしいものです。

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  2.  そうそう青年が柄を折ったことはありました。
     千本餅つきなどを見ますと、ほんとうに力はそれほど要らないのです。
     要するに私達の親の世代(時代)と私達の子の世代への餅つきの継承が上手くいっていないのですね。
     餅つきに限らず、この半世紀ほどの文化の断絶は大きく深い気がします。それは広く私達の世代の責任でしょう。
     でも、子供達は親とは違う方法で山に登ろうとするものだ!とも言います。

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