同窓会があった。
どういうわけか皆んな同世代である。(当り前である。友蔵)
だから落ち着くところは髪の話、病気の話、孫の話、介護の話かなと思って行ったら、介護はほぼ過去形になっていて、ペットの話が割り込んでいた。なるほど・・。それが正しいシニアのあるべき姿なのだろうか。「時間は公平やなあ」と言った同窓生の言葉に妙に納得した。
さて、季節は律儀に繰返してやって来た。
1 ヒヨドリの雛が庭のシマトネリコで忙しく鳴いている。近くには雀の雛もいる。鳴き声の忙しなさは変わらない。ベビーブームが来た。
同窓会に、ブログを読んだ同窓生が「冬鳥減少」の新聞記事を持参してくれたが、このように我が家周辺ではどうにか一定数を維持しているようだ。
2 歩道沿いのスイカズラが咲いた。そもそもの種は野鳥が運んできたのだろう、ユキヤナギの垣根の中から生えているのだが、そのうちにユキヤナギと肩を並べるかもしれない。可愛い花である。
これが、サザエさんに登場する空き巣の定番の風呂敷の模様に「進化」したのが不思議でならない。
そして、「忍冬唐草文様」と聞くと正倉院の御物を思ってなにやら有難く感じたりするのもまた不思議である。
3 モミジのヘリコプターが色づいた。
去年、老人施設に持っていったときにはみんなに喜ばれたなあという記憶がよみがえってしんみりしないこともない。
散っていく時もほんとうに「竹とんぼ」だ。
今年は義母に話してあげよう。
だが、話に興味を示すかどうかはわからないし、「この知識を忘れてはならない」という強迫感を与えないかというのも心配だ。高齢者のリハビリも一筋縄ではいかない。
4 同窓会のとき、「そこの住吉・大鳥頓宮でこんな美味しそうな実を摘んできたよ」と同窓生が差出した。それが例の『楝(おうち)の実』だったので笑った。
「子どもなら6粒で死亡するらしい」と過日のブログの解説を行なった。
近所の楝の木も薄紫の花を咲かせ始めている。
「その顔で有毒果実をつくるか!」と言いたいが、得てして魔女の素顔とはこんなものなのだろう。
5 家で5月28日夕昏に初時鳥(ほととぎす)を聞いた。写真はない。
古の俳人・歌人たちには絶賛に近い鳥なのだが、その声は何か思い詰めて訴えかけるような憂愁を秘めているように私は感じる。
実母からの伝言でもあるのだろうか。「おおきに」という伝言なのだろう。悔いはない。
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