私はほゞ毎日大学に通っている。
研究テーマは「消えゆく関西弁」である。
この研究テーマを思いついたきっかけ(消えゆく関西弁では、ここは「吉書」(きっしょ)と使いたい)は・・、小春日和が続いた後の、朝からどんよりとした雨の日に、妻が「雨の日は何故か心もうっとうしいね」と妻の母に言ったとき、母が「ようずみたいやなあ」と答えたからである。
このようずという言葉、『春に吹く、なまぬるくて、雨を連れてくるような風(かぜ)である。それに吹かれていると頭が重くなるような感じもする。近畿、中国、四国地方で用いられているようだ。(小澤實)』という新日本大歳時記の解説が一番的確なような気がする。
そして私は「何処かで読んだような気がするが・・」という程度で、この言葉が即座には解らなかった。
だからそれから、これら“一次史料中の一次史料”である“教授陣”の(生きて)おられるうちに、直接(ナマの発音で)教えてもらえることはなんと素晴らしいことだと考えることにし、義母の外泊の時はその折に、そして実母の施設では教授陣の体調のよいときに、「消えゆく関西弁」を少しずつ教えてもらうことにした。
授業の内容はというと、
・ こおつと~ お礼を言うときは、おおきに はばかりさん やったなあ。これは目上の人には言わなんだ。
・ こおつと~ 何処かへ行くときは いて参じます って言うてたなあ。此の頃は言わへんなあ。
・ こおつと~ わるさ のことは普通は てんご って言うてた。
・ こおつと~ 度々は せんど で今でも一寸は言う。
・ こおつと~ 今日みたいな雨の日は 道がしるい て言いました。
・ こおつと~ トイレは 何でか知らんが 高野山 やった。 かわや が こうや になったんか。髪(紙)を落とすさかいやったんか知らんけど。そうやった。そうやった。
と言う具合に脈絡なしに進んでいく。
そして、そもそも、この こおつと とは、ここにあるように、「え~っと とか、はて、どうやったかな」と、一寸迷ったり考える時の感動詞であり、教授陣はもちろん全員解って使っているのだが、横で聞いていた施設のスタッフは見事に全員「そんな言葉は知らない」と言う。
無理もない。妻も「ナマの言葉として聞いたことはなかった」(妻の母は「使っていた」と言うのだが)と言うぐらいの1級品の消えゆく関西弁だろう。
研究対象は大きいが、研究期間は極めて限られている??スミマセン。といっても・・・それほど大層なものではなく、私が書き留めなくても、これらのことは既にしっかりとした何冊もの本になっている。
しかし、この授業を私が受けると、何故か、いつも居眠りの多い教授陣の顔が見違えるように輝くので通学が止められない。
1月28日追記
ミリオンさん写真とコメントありがとうございます。
私は去年6月25日のブログのとおり、本家筋ながらこじんまりとした菅原天満宮の神事で全くかすりもしませんでしたが・・、
道明寺天満宮の桁違いに大々的な神事で『木』が当ったので・・・見事に大きいのですね。
この大鷽なら同窓生一同にも好いことがありそうな気もしてきます。
でも、原発利権に手を組む方々の大嘘はうそかえさせてはなりません。
前期高齢者って誰のこと!
河内弁でも「こォ~ッと」と云い、意味は「え々ッと」(「幻の河内弁」-後藤利幸)という事です。私の母親なども時々使っていましたが、、。素晴らしい教授陣が羨ましい。
返信削除!確かに、「こおつと」と書くか「こ~っと」と書くか、つとっの中間あたりの文字サイズを使うか、いっそのことアルファベットで書くかと迷うような発音であり、とりあえず「こおつと」と書いた次第です。
返信削除遅ればせながら、今年も楽しみに覗かせて頂きます。1月25日、近くの天満宮のうそかえ祭りに行きました。小さな袋の中に入っているうそ鳥の木彫りを「かえましょ」と唱え、沢山の人と交換しました。最後の袋の中の小さな木彫りの裏に、金・銀・木の字が書いてあれば、当たり(幸運)です。驚きました!私は木が当たりました。菅原道真が悪魔祓いのお祭りをしたとき、無数の蜂が参拝の人達を刺しました。その時、一群のうそ鳥が飛来して蜂を喰いつくした事から、人々の難を救いひとえに菅公の御仁徳としてこの神事が伝わっています。今年は、取り敢えずインフルエンザを喰いつくして欲しいです。最後に65歳おめでとう?かな。大学生頑張って!
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