素材の味を残しながら 噛まなくても食べられる ようになっていた |
特に、豆腐と山芋で鰻の蒲焼を作るような、いわゆる「もどき料理」の技術には感心した。単なるイミテーションを超えた「料理」であると納得した。
実母の施設の「おせち」は、精進料理ではないが、まるでその萬福寺門前の「もどき料理」のような出来栄えであった。
自前の食堂の作品であることに驚いた。
咀嚼の能力によって何種類かに分けられているが、咀嚼力の弱い母の場合でも飲み込めるように工夫がされていてかつ華やかで、私が摘まんでも美味しかった。
365日、寝て、起きて、食べての繰り返しだから食事の美しさと美味しさは貴重である。ありがたい。
度々書いたが、母の施設は治療が主ではなく文字どおりホームの性格が主となっている。
だから、うらじろ、お酒、ノンアルコール、若干のおせち等々を持参して、スタッフと相談して新年宴会をおこなったが、ひんしゅくを買うこともなく皆んなに喜ばれた。他所の施設ではどうなのかは知らない。
スタッフも「今日はマアいいかっ」と言い出して、母を筆頭に何人かは相当程度御酒を戴いて明らかに酔っ払い、例によって母は詩吟もどきを吟じたりして、楽しいお正月行事になったと自讃している。
母については、私の頭の片隅では「お正月が迎えられるかどうか」の思いもあったし、それはスタッフの方々も同様だったが、節々のこういうハレの行事の本番になると不思議と元気になるから、人間の生きる力というのは検査の数値ではほんとうに測りきれないという感慨を新たにした。
社会全般ではなんとも祝い辛い正月だが、我が家限りではありがたい正月を迎えられたと喜んでいる。
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