労働基準法は憲法に基づいて罰則付きで労働条件の最低基準を定め、仮に労使が合意してもその基準を下回ってはならないものだ。
なぜ民法の「契約の自由」原則を乗り越えているかといえば、本来的に労使は平等ではなく、雇用・賃金を止められると労働者とその家族は生きていけないからである。
こういう労働法の基本性格を理解せず、否、知らんふりをして、「労使のコミュニケーション」という一見もっともらしい修飾語で労働基準法の骨抜きが企てられている。
私自身、一時期、名ばかり管理職のような仕事についていたことがあるが、そこには労働組合はなく、就業規則などの変更に際しては親睦会の代表が「労働者代表」として署名していた。
さて我が国の2025年の労働組合の組織率は16%(労働組合基礎調査)と報じられている。
その16%には社会用語でいう御用組合も多数含まれている。そういう下で使用者側から労使自治論、「労働者も納得しているのだから最低基準を下回ってもいいじゃないか」、「労働時間でいうと過労死ラインを越えて時間外労働を命じてもいいじゃないか」論がホンキで持ち出されているのだ。
首相が「働いて、働いての✖5」を唱え、メディアがあまり追及しない今、労働基準法改悪問題は注視していかなければならない。

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