2025年12月11日木曜日

ソグド人の後裔

    李白に『少年行』という漢詩がある。
   五陵年少金市東
   銀鞍白馬度春風
   落花踏盡遊何處
   笑入胡姫酒肆中
 ペルシャのホステスの酒場に入ったという楽しい?詩である。そう、私はペルシャのダンサーがいる店と理解していたが、最近ではペルシャダンサーとは限らないということになっている。胡姫の胡という文字のことである。

 さて、中央アジアのアム河とシル河に挟まれたオアシスに住んでいたイラン系の住民をソグド人という。白い肌、青や緑の眼、高い鼻、濃いひげ、栗色の巻き毛が特徴だった。
 紀元前2世紀後半にこの地を支配していたバクトリアが滅亡したころから、地の利を活かして交易に従事し、シルクロードにソグド人ネットワークを築いた。

    唐の時代、彼らは胡人と呼ばれていた。彼らが中国に持ち込んだものには胡という字が付けられた。胡瓜、胡麻、胡桃、胡椒、そして胡坐。
 鑑真と一緒に海を越えてきた唐招提寺の4代目住職・安如宝もソグド人といわれているし、東大寺に伝わる写真の酔胡王の伎楽面も間違いなくそうだ。

 紀元前後から約1000年中央アジアの交易の主人公?であったソグド人」、シルクロードの共通語はソグド語、だが、・・・今はほとんどその姿を見ることができない。
 その末裔がタジキスタンのヤグノブ渓谷にいた。 
 白石あづささんが彼らと会った話(中央アジア紀行)を感動をもって読んだ。
 そして思った。この国の文化の土台をつくったのは紛れもなく渡来人である。
 厳然たるそういう事実を知らずに「ニッポン人エライ」と叫ぶ排外主義者の教養の低さよ。
 そしてその文化なるものは、中華や韓半島を経てきたものではあるが、その源流には大きな遊牧民の文化があったことを思う必要がある。眼(まなこ)の鱗を取ると歴史は深く面白い。
 (2枚目の写真は河島英五が壁に書いたもの)

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