1973年(昭和48年)まで1ドルは360円だった。現在の円安はそれに比べるとマシに見えるが、マクドナルドのハンバーガーがいくら買えるかという実効(実力)でいうと、円はほゞその時代まで落ち込んでているという。・・という経済学の話はチト弱いのでスルーするが、私が子どもの頃はもちろん360円固定相場だった。
そんな時代(主に昭和30年代)、大阪府南部の信太山周辺では模造真珠の産業が盛んで、遠くない堺の街の「主婦」はよくそのネックレスの内職をしていて私なども手伝っていた。問屋制家内工業である。
同じような球を決められた大きさの順番に糸を通し、2重ぐらいにして留め具をつけて箱にきれいに収めるというようなものだった。
当時の単価は忘れてしまったが嘘みたいに安かった。
日本国中でそういう風にしてつくられたアクセサリーや玩具やクリスマスのオーナメントが、アメリカのクリスマスパーティーを飾っていたはずである。
というようなことを、キラキラボールを庭木に吊るしながら思い出した。
これらのオーナメントは百均で購入したものである。
原材料も機械も全く違うが、包装、梱包、(海外)運送までされて100円だから、製造現場の収入は幾らだろうかと考えた。
やはり製造国の通貨、その為替相場の結果の100円なのだろう。
もしかしたら、その国の「主婦」あたりが微々たる単価で紐をつけたりしているのだろうか。きっとそうだろう。
カロリーベースの食糧自給率38%のわが国の家庭はモロに円安物価高の影響を受けているが、日銀総裁は夢よもう一度、内職で稼げとでも思っているのだろうか。ありえない金融政策ではないか。
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