3日ということもあったのかもしれないが、わが夫婦以外に参拝者はなく、二人のために住職が重文級ともいえる十数体の仏像などを丁寧に説明してくださり、賑やかではないが寂しくもない、非常に充実した初詣であった。
御多分に漏れず、廃仏毀釈によって往時の姿は見る影もないようだが、この姿自体が諸行無常を教えてくれているようでもある。同時に、秘仏歓喜天に二股大根が備えられていて、実生活の豊穣の願いが具現化されているようで、ある意味で宗教が「生きている」感じがした。
村を一歩出ると、嘘のような住宅開発と大規模店の並ぶ幹線道路に取り囲まれており、いわゆる観光寺院でもないこのお寺がどのように存続されるだろうかと、いらぬ心配さえしたが、人新世の資本論の斎藤幸平氏ではないが、初詣というのもほんとうはこれでいいのだ。
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