2022年1月7日金曜日

大きな小見出し

   「小見出し」とは文中に付ける小さな「見出し(タイトル)」のことだから、「大きな小見出し」という言い方は変かもしれないが、4段抜きの「小見出し」だから「大きな小見出し」というしかない。

 しかも、その文字が、『「強い」経済は共産党にとって資本主義批判という点から見れば妥協か?』という刺激的な文字が赤旗の元日号に踊っていたのだから私はひとり興奮した。

 本田由紀東大教授と志位委員長の新春対談の途中のことである。本田氏は、「強い経済」という方向が、問題含みの資本主義を延命することを暫定的に主張してしまうことになるのかもしれないと思いながら、いまの資本主義が滅ぶとか、資本主義を変えていかなきゃいけないと思っていない人たちに、共感・賛同してもらうためには、こうした打ち出しが必要だとも感じます。と提起。

 それに対して志位氏が、マルクスの資本論のなかに、とても印象的な叙述があるんです。として、工場法をすごく肯定的にとらえている。と語り、「強い経済」をつくっていくということは、それだけ先の社会に進む豊かな条件もつくられる。と応え。本田氏が、弁証法ですね。と受けているくだりの話である。

 待ったなしの気候危機の下で、「やさしく強い経済」の主張が強欲資本主義の免罪符やアリバイ作りに取り込まれないか(斎藤幸平)という心配が全くないわけではないが、この対談のこの節のキモは、あくまでも世の中をリアルに認識して、教条主義的な「原理主義」に陥らないことだと私などは理解した。

 近いところでいえば、大阪で維新が議席を伸ばしていることなどに対して、その理由をリアルに分析しようとせず、「大阪の地の無責任な風土の問題」「故に他の地域では起こりえない」「大阪の民主勢力は何をしているのだ」的なリアルでない「批判」をしているうちに他の地域でも支持率が上がっているという問題。反対に、大阪市長選挙では元議員の自民党員を独自に推すなどの運動が、曲がりなりにもトコーソーの住民投票を二度も打ち破った取り組みを評価できないことによる行動力の低下など、頭の整理をするべき問題は少なくない。

 リアルでなければならないことでいえば、体力的に行動力が低下し、かつコロナ下で3密が困難になるというリアルな状況を直視すれば、好き嫌いは別にして、SNSに参加し発信力を強めようと一年の計を立てるのが良くないか。


4 件のコメント:

  1. 本日のブログとても参考になりました。「やさしく強い経済」について、大門みきし議員の発言も参考にしながら理解を深めようとしていたので...。後段の「維新」についての部分も頭の整理に役立ちスッキリさせてくれました。

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  2.  ケンタさん、私は相当感覚的にモノを言っている気味があります。異論、批判等「談論風発」といきたいものです。コメントありがとうございます。

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  3.  談論風発したいものですね。1月3日のブログも含めて思うのですが、働くということと来るべき社会がどうつながるかという点が弱くなっているような気がしていて、斎藤幸平さんもそうだし、たまに出る記事を見ていても、労働をどう減らすかという点が先に出ていると思います。
     確かに、長時間労働を減らすのは喫緊の課題ですが、働く中で人が自分の経験を蓄積していくということと、その蓄積を能力に変えてまた仕事や活動の中で発揮していくというサイクルをとらえずに労働時間を減らすという課題が前に出ている気がするのです。
     現実は、懸命に働いても正当に報われないということに立場を超えてみんな怒っているのであって、働くことが報われないまま、働く時間を減らす未来像を語っても、それが魅力的な社会につながるでしょうか?
     マルクスも、自然の中の蓄積・循環(こちらが環境問題に通じる面)と人間の一生の中のそうした蓄積・循環を資本が容赦なく収奪して再生産さえできなくしてしまうという点を批判しているのだと思うのですが。
     また、年金制度などの社会保障は非常に大事な問題ですが、年金というのは結局はお金なので、年金制度の拡充を言えば言うほどお金の話になります。
     本当はお金の奴隷にならないためにある程度のお金を要求するんだというのが肝だと思いますが、それから逸れると年金も金融商品で運用して殖やすという考え方になっていって、実際、個人年金のすすめも増えていますし、株価を維持してくれる政権がいいということにすでになっているのではないでしょうか。

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  4.  KMさん、ありがとうございます。非常に考えさせられます。昔大阪国公で行政研究活動、行政民主化闘争で大論争がありました。もっと違うところでは日本共産党と日教組との間で「教員は労働者であるとともに聖職者でもある(共産党)」の主張に対する大論争がありました。
     確かに、「働きがい搾取」とでも呼べるような悪用に注意しなければなりませんが、こんな時代だからこそ、労働と働きがいと未来社会について考え、語る必要があるように思います。

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