2021年11月13日土曜日

憲法の三つの顏

   先日の『檻の中のライオン』では楾(はんどう)弁護士が「檻は見物人のルールを定めたものではなくライオンの暴発を防ぐルールだ」と例えられていて理解が進んだが、憲法学者木村草太教授の「日本国憲法には、国内法典以上の意味がある」という指摘も私には非常に新鮮だった。

 氏はそれを「日本国憲法の三つの顏」と述べられたので以下に紹介する。

 第一の顏は「国内の最高法規」である。
 公務員をされていたような方々には釈迦に説法だが、普通の法律は「後法は前法を排する」原則により新しい法律が優先されるが、憲法と矛盾する法律が定められた場合、憲法の効力は失われず、逆に新しい法律が無効となる。先日の例えでいえば、ライオンが大声で「檻は無効だ」と叫んでも通らない。この「最高法規」については大方の理解に大きな隔たりはないだろう。

 第二の顏は「外交宣言」である。
 以下の指摘は私には新鮮だった。
 氏は言う。「憲法前文には、平和を愛する諸国民に公正と信義に信頼して・・と書かれている。この文言を非現実的な理想主義だと非難し削除すべきだと主張する人がいる。確かに、外交は利害得失と権謀術数が渦巻く厳しい世界である。しかし同時に、外交は儀礼・礼節の世界でもある。
 日本国憲法はそのために「外国の皆さんを信頼しています」と挨拶しているわけで、この文言を削除するということは、外国に対して「お前らを信じていない」と宣言するに等しい振る舞いである。
 そういう視野も理解せず、国内のみの狭い視野で考えていたのではいけないという提起はナルホド目から鱗であった。

 第三の顏は「歴史物語の象徴」である。
 この提起も目から鱗であったが、氏は、現在フランス憲法の一部となっているフランス人権宣言や合衆国憲法に連なるアメリカの独立宣言をあげ、日本国憲法もその例外ではないと指摘している。
 これは第二の顏と密接不可分かもしれないが、現憲法は、明治憲法下で行なわれたアジア諸国への侵略、その下での数々の非人道的なふるまい。国内では権力による虐殺を含む人権蹂躙の数々などを反省し繰り返さないという内外への宣誓であり、考えようによっては、忘れてはならない非常に大事な「顔」である。

 本日の本論は以上のとおり。こういう大前提をしっかりと頭の中にしまっておかないと、「教育無償化を書き込むのが良いかどうか」とか「家族で助け合えと言って何が悪い」というような本末転倒の議論に右往左往してしまうかもしれない。

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