2021年6月7日月曜日

紫陽花のない6月

   私は素人目ではあるが八割おじさんこと理論疫学者西浦博教授の折々の指摘や提言を評価している。「人の接触を八割減らす」という言葉が独り歩きしたきらいはあるが、政府の「宣言」の有無にかかわらず、今は、ソーシャルディスタンスの確保 マスクの着用 体調が優れないときは外出自粛 三密の場(特に友人との飲酒)は避ける 同居家族以外とマスクなしで会話しない‥は的を射ていると思っている。

 逆に言えば、手洗いなどをこまめにして上記を守っていれば、ある程度の社会的活動は出来る。一律に自粛するのではなく、メリハリのある対策をしていこうという主張も納得できる。

 その場合難しいのは、深く考えることなく、屋外ならいいだろうと野外宴会をしたり、宣言されていない県ならいいだろうと派手な旅行をする人々の出てくることだろう。私自身、マイカーなどを利用してハイキングに行ったり、屋外で食事をしても許される範囲があると思っているし、吉永小百合さんが「スクリーンからウイルスは飛んできません」と異議申し立てをしたように、映画館、美術館、博物館の休館などはナンセンスだと思う。

 為政者は、そこへ行く移動途中が問題なのだというかもしれないが、電車のダイヤを間引きしたり車両編成を削減しているのは誰だと言いたい。デパートにしても、デパ地下以上に混雑しているフロアはないのだが、「庶民の楽しみを遮断すれば人は動かなくだろう」という嫌がらせが政策の中心に座っている。

 翻ってコロナでいえば、為政者は庶民に外出自粛ばかりを要求し、たまたま外出中の「不埒な馬鹿者」を主犯に仕立て上げて、大規模検査と隔離、ワクチンの大至急接種、医療体制の大幅テコ入れなど、最も中心になるべき施策をサボっている。

 政府の成長戦略会議メンバーのデービット・アトキンソンが「日本の中小企業は多すぎる」と声高に主張しているが、コロナ自粛要請下の中小企業支援・補償が一向に進んでいないのも、この機会に「中小企業を適正規模まで減らす‥つまりはこの機に潰す」政策ではないかと疑いたくなる。

 奈良では、この時期満開の紫陽花で有名な矢田寺が、人々が来たらいかんので蕾を全部摘んでしまった。 きれいごとでは済まない、花が咲いたら三密になる、その気持ちもわからないではないが、私の心は十分整理できないでいる。

 そもそも何故密を避けずに出歩く人がいるのか。私は該当の人々が為政者の言葉を信じていないからだと思う。オリンピックにしても、スポーツマンシップやアスリートの願いは上手く修飾語に利用されているだけで、本心は桁違いの利権に群がる者たちの発言だろう。新型変異株対策もないまま、学校の運動会は中止を要請するもオリンピックはするというロジックの正当性を誰も信じてはいない。

 冒頭に述べたとおり、私は人の流れを抑えることには反対ではない。しかし、政権は自らの責任と仕事をせずに、一部の「不埒な馬鹿者」に責任を転嫁している。#オリンピックは中止せよ! 

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