2020年11月14日土曜日

語った日の夜の悪夢

   13日付け朝日新聞夕刊に『原爆模型 手作りのバトン』という記事があった。骨子を言えば、広島で被爆した東京の故福地義直氏が私設原爆展示室を開いてきて、そこに広島と長崎の原爆の原寸大模型も展示してきたが、亡くなった後預かっていた墨田区の被爆者団体も保管場所が確保できなくなり、スクラップになりかけていたのを、とりあえず広島の「リトルボーイ」は江戸川区の被爆者団体が引き継ぐことになったという記事である。

 その被爆者団体「親江会」の山本会長は「ミスター赤ヘル」の山本浩二氏の実兄ということだった。

 なお私が心打たれたのは、実はその後の記事で、山本会長は数年前まで長く被爆体験、戦争体験が語れなかったということ、亡くなった奥さまの遺品である手記などの整理を通じてようやく原爆に向き合えるようになったこと、いまは学校などで子どもたちに語ることもあるがその後はしばらく悪夢にうなされるということだった。(記事はここまで)

 そこで、次の話は何回か書いたことがあるのだが、私は労働組合の会合で広島の被爆体験者と同室になったことがある。その晩、先輩はすさまじく絶叫した。悪夢にうなされていた。私は眠れなかった。「昼に原爆の話をすると必ずうなされるんよ」「だから原爆の話はしとうないんよ」と翌朝聞いた。記事と同じ話だった。(その頃若かった私は、「若い我われが原水爆禁止で運動しているのに、どうして現地広島の人々がもっと声を上げないのか」と若い考えを持っていた)。私の想像の数百倍もそれは地獄だったのだ。

 来年には国連の核兵器禁止条約が発効するが、日本政府は批准に反対している。被爆者が自然に亡くなっていくのを待っているかのようである。

 歴史は60年ほど経つと忘れられたり歪んだりすることが非常に多いと、東大史料編纂所編『日本史の森をゆく』にあった。

 だから私は、「この話は一度書いた」ということでなく、機会のあるごとに先輩の悪夢(フラッシュバック)のことを語り続けようと思う。

 日本政府は核兵器禁止条約を批准して、唯一の戦争被爆国として国際社会に核廃絶を訴えよ。被爆者の悪夢を鎮めよ。

2 件のコメント:

  1. 「核兵器禁止条約」が批准され、来年からはその効力が発揮される、本当に画期の事である。しかし、事はこれからだと思います。言われる通り、条約の制定に貢献してきた被爆者の皆さんの努力を我々と、そして後に続く若い人たちに繰り返し、繰り返し伝え続けていかなければならないと思います。

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  2.  ミニコミ紙正月号の大見出しは『祝核禁止条約発効の年』あたりでしょうか。

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