戦争の時代を語る時、被害の記憶だけでなく加害の歴史的事実についても語る必要があることは解っているが、残念ながら義父が存命中には戦争時の話などほとんどしてこなかった。
今にして思えばもっと話を聞いておくべきだった。
「親孝行したいときには親はなし」は真理である。
私の義父は頭に「くそ」が付くまじめ人間だった。
釣銭が10円多かったときに何百円使ってでも返しに行った逸話がある。
だからだろう、「軍隊には泥棒がいた」「取られた者が殴られた」というような話だけは何回も聞いた。
軍隊に理性はなかったというよりも、軍隊に理性は有害だったのだろう。
「員数合わせ」で、くそまじめな義父はどれだけ鉄拳制裁を受けたのだろうか。
私が働き始めた頃の課長等の上司はほとんど軍隊経験者だった。
先日ドラマ「やすらぎのとき」で兵役検査の場面があったが、素っ裸で四つん這いにされ肛門を検査されたり、ペニスを剥いて検査(M検といわれていた)されていたが、そういう話を上司はよくしていた。
人格だとか人間性などとは全く無縁で、サディスティックな暴力的支配が天皇の名の下に横行していた。そんな「自慢話」も少なくなかった。
加害の話はさすがに多くはなかったが、酒を飲みながら聞くそんな話は愉快ではなかった。
今の若い人には間接的にもそんな「変な」話を聞く体験もなく、それが安倍政権の危険性への不感症になっているのかもしれない。
妹尾河童さんの「少年H」ぐらいは読んでおいてほしいものだ。
今日は日本の敗戦記念日、多くのアジア諸国の解放記念日だ。
冷静に近現代史などを読むのもいい。
それは遠い過去のことではない!と思い当たることのなんと多いことか。
義父さんのつり銭返しの件、私の小学一年生の出来事とダブッてしまい、おもわず失笑してしまいました。私の場合は買った画用紙の枚数が多く返しに行った店のおばちゃんに褒められた記憶が蘇りました。
返信削除ケンタさん、コメントありがとうございます。貴方の生真面目さも筋金入りですね。
返信削除生真面目に「おかしいことはおかしい」と言い続けることがますます大切になっていると思います。