「土偶羊羹(どぐうようかん)」は大型連休に茅野市尖石(とがりいし)縄文考古館に行ってきた夏ちゃんファミリーからの連休土産だ。箸置は以前から私が持っていた。帽子のアクセサリーも持っていた。
そんなもので土産を前にして「土偶は壊すために作っていたという説がある」など楽しく語らった。
昔、「はじめ人間ギャートルズ」という園山俊二の漫画があったが、縄文人というと概ねそれとあまり変わらないイメージがないだろうか。
歴史をさかのぼると、古事記が完成したのが西暦の712年、通説の弥生時代というのが紀元前10世紀後半から、そして縄文時代というのが紀元前13,000年頃からというから、縄文をそう軽々しく判ったような顔で語るのはどうかということになる。
そうしたら縄文=ギャートルズのイメージはどうして広がったのだろうか。ただ単に学問のレベルが低かったからだろうか。
答えを言えば、犯人は皇国史観であった。
皇国史観は考古学的事実(つまり学問)を無視して紀元前660年に神武天皇が即位したとした。神武の父母より前は神々であった。
そして、神武天皇が征服した相手は荒ぶる神々や土蜘蛛だった。
早い話が、神武以前に地上には人間の文化などなく、いたのは土蜘蛛などの野蛮人、つまりはギャートルズだったというのが皇国史観であった。
だから今日の小論で私が言いたいことは、土偶と縄文文化を考える前提として、再び皇国史観を復活させようと企む日本会議等右翼の主張をきっちりと批判しなければ、正確な縄文文化に到底到達できないし、安倍政権の改憲議論などを見ていると、そういう心配が非常に現実のものとなっているということの指摘である。
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