2018年8月18日土曜日

日蓮信徒はどこへ行く

 私の浅い理解では、通常仏教徒と言われる人々は死後極楽浄土に迎えられると信じられている。
 日蓮の広めた法華経を信じる人々はその極楽浄土を霊山浄土と言っている。
 死後の証明は数学のようには証明できないから信心の問題で他人がとやかくいうものではなく、それはそれでよい。

 しかし戦前は、大東塾の影山正治の『忠霊神葬論』などで「死して忠霊なほ大君の辺にまつろひ、以て無限に皇運を扶翼し奉るのである。若しその霊を西方十万億土に送り、釈迦仏に附して彼岸極楽に送りやる如きことあらば、忠死の根本否定であり、忠霊の致命的冒涜である」と、早い話が「靖国神社に行かずに極楽浄土に行く者は国賊だッ」と断罪したのだった。

 大君の辺すなわち靖国神社とは、戦前は普通の宗教法人などではなく、神社の形をとりながら、内務省が人事を所管し、大日本帝国陸軍(陸軍省)と同海軍(海軍省)が祭事を統括した、いわば軍の組織であった。
 戦後1978年(昭和53年)には東條英機らA級戦争犯罪人まで合祀し、以降、天皇の参拝もなされていない。

   その靖国神社に敗戦記念日に国会議員が連れ立って参拝したニュース画面から、どこかの運動部のコーチが上司の意向を忖度してつるんだような印象を私は受ける。
 繰り返すが靖国神社は普通の宗教法人ではなかったのだ。

   元に戻って戦前の国家神道は靖国神社を絶対化して、仏教系宗派その他の宗教の自由を奪い死後の成仏さえ「冒涜」したのだった。

 そんな中、7月にあった靖国神社みたままつりで創価学会の提灯が献納されたのが話題になっている。
 安倍自公政権の現実社会での腐敗は言うまでもないが、公明党の支持団体創価学会はついに魂まで差し出したのだろうか。

 追伸 8月24日、聖教新聞は創価学会としては提灯を献納していないとの記事を掲載した。
 そうであれば、誰が虚偽の献納したのか早急に明らかにした方が良い。
 そうでなければ、二枚舌を疑われる。

0 件のコメント:

コメントを投稿