テレビを観ていて『ならまち糞虫(ふんちゅう)館』のオープンを知った。
土日の午後のみオープンということで、前夜の夏祭りの疲れを引きずりながらも8月26日に訪ねてみた。
『昆虫館』はあちこちにあるが『糞虫館』というのが嬉しい。
実際の展示で知ったことだが、奈良公園も「宝石のようなルリセンチコガネ」だけでなく、いろんな「チビセンチ」が居る。そのコレクションもすごかった。
成虫は夏よりも秋の方が多いということも教えてもらった。
ここに標本も提供している高校生がいて、その博識にも驚いた。奈良の未来は明るい!
折角なので持参した『ふんコロ昆虫記』(トンボ出版)に、館長の中村圭一さんにサインをしていただいた。「初サインだ」と言って応じてくれた。
思い起こせば、奈良公園でルリセンチコガネを初めて見つけたときには興奮した。
結果的にはたまたま鹿の糞の横でひっくり返っていただけらしいが、「球を押している!」とそのときは興奮が冷めなかった。
今日の勉強で「玉押し」するスカラベなどは後ろ脚が長く、それに対して後ろ脚の短い奈良公園のセンチコガネは基本的に「球を引っ張る」のだと高校生に教えてもらった。
ご承知のとおり奈良の鹿は「神鹿」である「神の使い」である。
その足下で、押して転がそうが引いて転がそうが、やはりふんコロは地球(玉)の運行を司る神の使いである。
糞虫バンザイ!
人間が鹿の糞を処理するとすれば、年間100億円・・・奈良公園の糞虫は年間100億円の仕事をしている。
〔おまけ〕猛暑のならまちは人があふれていた。奈良公園の観光客のキャパシティーとしてはこれで十分ではないかと私などは考える。奈良公園の環境を壊してまでの高級ホテルはいらない。
ダーウィンはミミズの研究を30年以上していて、ミミズが枯葉などを食べて糞を出し、土をかき回して土壌を作る、ミミズはなんて偉大なんだという結論に達したらしいです。『ミミズと土』(平凡社ライブラリー)にまとめられています。
返信削除Mykazekさんコメントありがとうございます。エコロジーを論じる上でミミズの占める位置は高いように思います。
返信削除不耕農法、たい肥作り等いろいろ挑戦してきましたが、言うは易く実際には失敗の連続でした。今はせめての有機農法で妥協しています。なのでわが菜園にミミズは一応健在です。
人間は生態系の枠外に居るという無知、傲慢が、自然界のあちこちで反撃を受けていると思います。
と考えると、糞虫館もありがた~く見えてきませんか。
ミミズといえば、サトーハチロー作詞 三木鶏朗作曲の名曲があり、一定年齢以上の人は、必ず1番ぐらいは歌えます。反対に言うとこの歌を歌えるかどうかである種の年齢が判ります。Mykazekさんは如何? 〽夕べミミズの泣く声聞いた あれはケラだよオケラだよ オケラなぜ泣くあんよが寒い 足袋がないから泣くんだよ・・・
返信削除確か福助足袋のCMソングだったと思います。メロディーは覚えていますが歌詞は、、ただ「こはぜ」って何やろ?と思ったのはハッキリ記憶しています。
返信削除「ならまち糞虫館」私もテレビを見てぜひ行きたいと思っています。
テレビドラマ「陸王」の主人公(会社)が「こはぜ屋」でしたね。
返信削除歌詞を見ても全然メロディーが浮かんできませんでした! ところで、マルクスには人間と自然との間に物質代謝があり、その過程の一つが労働だと述べているそうです。農業はまさにそうですね。環境論の先駆です。
返信削除Mykazekさん、歳をとると「農は国の礎」「究極の趣味」だと思うようになりました。ほんとうの農民には「何を甘っちょろいことを」と言われそうですが。一坪菜園に根を上げているエセ農民です。
返信削除ちなみに、文化を指す”culture”の語源は「耕す」という意味です。人間の文化とは労働を通した自然との関係抜きには、本来は語れないものだと思います。自然と文化を人間の労働との関係で考え直す、おもしろくないですか?
返信削除非常に勉強になります。知的刺激を受けております。
返信削除何かの機会にしゃべりたいんですけど聞いてくれる人がいないのです。AIで労働者が失業するといった話も最近大流行で、ほんまにそうなのか、きちんと考えてみたいと思っています。
返信削除リタイア組では話題になりそうもありませんが、下村治あたりの文書の中に「畢竟経済とはこの日本列島に生れ生きていく人々の暮らしの話だ」的なことがあったように思います。
返信削除労働政策もそうですが経済の一側面は社会政策だと思います。
一部のAIを駆使する勝ち組の一方に大量の失業乃至不安定雇用労働者が増加する社会は強烈な強権的管理社会にしないと存続しえないでしょう。
社会の民主的コントロールか警察国家かの分岐点が来るように思います。