『半分青い』の主人公は片耳が聞こえない。その子どもがおたふく風邪に罹って縁者が親と同じになるのでないかと心配する。
その場面を辛くて見ていられなかった。
孫の凜ちゃんは心臓その他に障害を持って生まれたので、長い間音に反応しなかった。
相当経ってからの検査の結果はドラマの主人公と同じだったが、正直にいうと「片方は聞こえてよかった」と感謝した。
さて、「普通」とは何だろう。
3歳の誕生日を迎えた凜ちゃんは「普通」の子の1歳に近づきつつある(1歳未満の)段階だ。
世間の祖父母は孫の将来を夢見て楽しい話題で盛り上がるのだろうが、私たちにとってそれはない。口を開けば心配事が出てしまうから語りたくない。
ただ過去を見て、誕生直後に救急車がたまたま大学病院に向かってくれたのがよかった、2度の心臓手術も悪くなかった、ゆっくりではあるが「1歳に向かって」成長している、と感謝するだけだ。
自民党の杉田水脈議員流にいえばこの孫には「生産性」がないのかもしれない。
医療や福祉として受け取る税金は「無駄」の塊と杉田議員は言うのだろう。
以前の住居の近くに福祉センターがあり、ご近所に重い障害児を抱える家庭もあり、実母がボランティアに参加していたから、「この世には”今障害のある人”と”今後障害を持つであろう人”でなっている」ということも知っていた。
それでも正直にいうと、孫が医療や福祉で受け取るサービスには申し訳ない気持ちがないことはない。
だから、「そんなことはない、基本的人権ではないか」ということも、当事者としては大きな声では躊躇する。
世のため人のためには躊躇してはいけないとは思いつつ。
でも、はっきり言わなければならない。「生産性は生きる全てですか」。
東京版には30日に載ったのだろうが朝日新聞大阪版「声」31日に、栃木県酒井純子さんの投稿が載った。
酒井さんはよく言っていただいた。勇気がいったことだろう。
付け加えれば、杉田議員の主張はナチスが障害者を大量虐殺した優生思想である。それを咎めない自民党も肯定していると断じなければならない。
「杉田議員は辞職しなさい」と多くの人々(健常者)が声をあげてほしい。
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