政治学の長澤高明氏を講師に、こじんまりとした憲法問題の学習会に参加した。
一般に「改正回数が多い」と言われるドイツ憲法は(だから日本も改正せよという意見があるが)、ドイツでは日本でいえば普通の法律レベルの事柄が基本法(憲法)に書かれているからそうなるのであって、ドイツでも日本の憲法レベルの基本条項の改正は全くされていないとの話は新鮮だった。もっと勉強しなければと思った。
また、「新法は旧法を破る」という法律論の大原則を知らない訳ではなかったが、日本ではこれまで新しい法律の制定に際しては矛盾したり抵触したりする旧法を真面目に改訂したり削除してきたので馴染みが薄かった。実際私もピンときていなかった。
ところが例えばアメリカでは(旧条文削除等を怠って)大雑把に新法を作ってきたから、誰もが新法と合致しない旧法部分は問答無用で無効(失効)になるのは常識になっている。これはアメリカだけでなく法律論では本来常識に属することである。この辺の日本人一般での誤解や無知を思うとこの法律論の勉強も大事だとつくづく思った。
単純にいえば9条2項の「戦力不保持」「交戦権否定」という旧法の上に「自衛隊の明記」という新法を被せれば、いうなれば「軍隊の認知」が新法になり、「戦力不保持」も「交戦権否定」も空文化されるわけで、「9条2項が残っているから何も変わらない」というのは詐欺師のペテンである。それを信じるのは無知である。
そうして、講師の「外交とは勝ち負けではなく、リスクを最小限に抑えること。それが政治の役割だ」との意見にも大いに納得した。
これまでこのブログでも「臆病な人間ほど勇ましい言葉をもてあそぶ」ことを指摘してきたが、生い立ちも境遇も違う他人(つまり外国)との外交は単純なはずはない。いろんな困難が山のように出てくるに違いない。が、それが外交というものであって、それを「対話のための対話はしない」というのは、究極の怠け者の外交論だろう。
私は日本の右翼ほど平和ボケはいないのではないかと思う。
軍事力、つまり戦争で平和を勝ち取るというその戦場はどこですか。そのとき貴方は何処にいて何をしているつもりですか。その戦争でどれくらいの人が死に、どれくらい国土が破壊されるのですか。説明できる者はいない。
勇ましい言葉を並べる者は怠け者である。・・と講師は喝破された。
どうしたら学校での銃乱射事件を防げるかの問いに・・・、
「先生に銃を持たせろ」とトランプは本気で語った。ジョークではなかった。
貴方はこれが正しい解決策だと思われますか。
安倍首相は「トランプ大統領を全面的に支持する」と言っておられますが。
私自身は、日本国憲法を理性的に読めば自衛隊は違憲の存在だと思うが、当面の現実の世界では防衛力は肯定されるべきだと考えている。
しかし、今はそれを中心テーマとして議論すべきときではないと考えている。
もっと言えば、現憲法の縛りのかかった自衛隊でいいではないかと考えている。
大切なことは、非武装論者も、加憲論者も、学術的なその違いを横に置いて「安倍改憲を許さない」の一点で手を取り合うことだと私は発言した。
リアルに考えよう。大統領が銃の所持が当たり前という国とも、バレンタインデー禁止の国とも、気を長くして付き合うというのが外交だろう。
もう一度言う。勇ましい言葉を吐くものは怠け者である。
春寒し銃持て教壇に立てという
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