そのお水取りの前行が始まったことが新聞に報じられた。
記事中では大導師が「修二会とは我々が安心して暮らしていけるように、季節が季節通りにやってくることを祈るものです」と話していた。
東大寺のHPによると、『修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」と言う。十一面悔過とは、われわれが日常に犯しているさまざまな過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で懺悔(さんげ)することを意味する』とあり、先の記事中で大導師は『・・身近なところから、戦争や自然破壊まで「過ぎる」ということを悔いなければならない』と述べている。
与党や「ゆ党」の政治家に聞かせてやりたいものである。
大導師が前行に入られた同じ日(ただし現地時間では14日)、アメリカでは銃乱射で17人の高校生が死亡した。
今年に入って45日ほど経ったがアメリカの学校での発砲事件は18件目だったらしい。
それでも銃規制が進まない。銃という暴力を所持しない限り身は守れない、自衛はできない。銃のない平和な社会は理想主義のお花畑だというのだろうか。
このフレーズどこかで聞いたことがある。核抑止力論だ。
我々は警察権を除いて基本的に丸腰でも安心して暮らせる国を作ってきた。
銃という暴力で安全が達成されるなら、アメリカは世界一安全な国になっていたはずだ。
銃の無い国、その先に核兵器の禁止や、軍事よりも対話での外交解決を目指すのがそんなにおかしいことだろうか。
私には、銃所持肯定も核抑止力論も遅れた思想にしか思えないのだが。
地球上の人々に風雨順時を!
十一面に悔過せよ対話せよ
アメリカの軍事力が超越することによって世界の平和が実現されるなら、地球上は既に平和な世界になっていたはずだ。
返信削除日本が軍事力を強化しない限り国民を守れないというなら、あの未曽有の3.11大災害のときに周辺国から侵略されていたはずだ。
過激な言葉による扇動や洗脳に頷く前に、冷静に理性的に議論しませんか。