世界中で「グローバル化」といって英語が支配的な言語になりつつあり、母語(日本であれば日本語)が痩せ細っている。そういう言語政策を推進している人々が言語を「道具」だと思っているのが大間違いで、『僕たちは言葉で造られている』のだ。フィリピンの大学の先生は、「英語で話せることは実利的だが母語では話せないことは悲劇的だ。なぜなら、このような言語環境に置かれている限り、フィリピン起源の政治理論や芸術運動が出現する可能性が絶望的に低いからだ」と嘆いている等々刺激的な指摘が多かった。
以上は前説(まえせつ)。
昨日の記事にひげ親父さんから、『毎日歌壇に「なまはげの少し無理ある訛りかな」というのがありました』というコメントをいただいて、方言=母語について少し考えた。
少し以前のケンミンショーで京都の杉本彩さんと大阪の西川きよしさんが関西弁の「よろしゅうおあがり」について語っていた。
私の聞き間違いでなければ、二人は食事のとき、関西では「いただきます」に対してホスト側が「よろしゅうおあがり」というと説明していて、私は「それではポチに対するヨシやないか」とテレビのこっちでツッコんだ。
両氏の説明は、綺麗にいえば「よろしくおあがりください」と食事を提供するのだという説明だが、それではポチに対して、「お預け」「ワン」「ヨシ」で・・・、「いただきます」が「ワン」で「よろしゅうおあがり」が「ヨシ」になる。
あえて「正解」というが、「正解」は「ごちそうさまでした」に対して「よろしゅうおあがり」と答えるので、「よろしくお召し上がりいただいてありがとうございました」の感じである。(ことほど左様にテレビは信用ならぬことが多い)
前者と後者の感覚の違いは解っていただけると思う。
前説に引き戻して言えば、「これが上方文化」だと思う。
わが家では結構使いこんでいた言葉だが、巣立ちして久しい息子や娘には十分浸透していない。それぞれの配偶者は関西圏外出身だからなおさらだ。
なのでファミリーで食事会をしたときには妻が息子や娘に「そういううんやで」と再教育をしている。
言語を含め伝統などについて、我々の世代と子の世代あたりは後世の歴史家が嘆くような断絶の世代になりかねない。
そんなことも考えて、節分の夜には老夫婦二人で大きな声で外に向かって豆を撒いた。
近所の人は「きっとお孫さんが来て撒いてはるのやろう」と善意?に理解されているだろうが、実は夫婦二人だけだった。
立春や鳩の歩ける音がして
上方文化という事で思い出しました。桂米團治のブログで知りましたが東京の末広亭や鈴本、国立演芸場等演芸場以外の小さな「落語会」が2月17日1日で83か所で行われるようです。落語家の人数は500人を超えているとの事です。かたや大阪、上方では2月17日は繁盛亭や動楽停以外では15か所。上方落語家は270人で東京には太刀打ちできないようですね。落語以外の文楽や歌舞伎でも上方文化を広げ高めたいですね。それにつけても文楽をいじめている橋本元市長や維新には腹立ちます。
返信削除文化というのはある意味では一定の有閑族が支えるものかもしれませんが、それだけでは決してないと思います。
返信削除いわゆる社会のリーダーと言われるポジションの人々がどれだけ文化を大事に思っているかで決定的に違ってくるのではないでしょうか。
そういう意味で「維新」の大阪は「都市格」を劣化させていると思います。
ただ、そういう批判だけではいけない訳で、自覚した市民=勤労者が文化を支えてやるという気概も必要な気がします。
上品な関西弁も伝承しなければ・・・