朕󠄁惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ德器ヲ成就シ進󠄁テ公󠄁益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵󠄁ヒ一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ是ノ如キハ獨リ朕󠄁カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺󠄁風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道󠄁ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺󠄁訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵󠄁守スヘキ所󠄁之ヲ古今ニ通󠄁シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕󠄁爾臣民ト俱ニ拳󠄁々服󠄁膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶󠄂幾󠄁フ
明治二十三年十月三十日
御名御璽
以上が教育勅語の原文である。
安倍内閣は以上の教育勅語について、「憲法や教育基本法に反しないよう適切な配慮の下で取り扱うことまでは否定しない」と閣議決定した。
稲田朋美防衛相の説明によれば、3月8日の国会で、「教育勅語の核である、例えば道徳、それから日本が道義国家を目指すべきであるという、その核について、私は変えておりません」と答えている。
しかし、アレレ、教育勅語の原文には「道義国家」という言葉は使われていない。稲田朋美防衛相の説明によれば、3月8日の国会で、「教育勅語の核である、例えば道徳、それから日本が道義国家を目指すべきであるという、その核について、私は変えておりません」と答えている。
なので、彼女がその言葉を使ったのは、明治神宮のホームページに載っている、国民道徳協会の訳文に基づいて彼女が理解しているとしか考えられない。(朕󠄁惟フニの冒頭部分を引用すると「私は、私たちの祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます」とある)
国民道徳協会の訳文なるものは、ゴリゴリの右翼として有名な佐々木盛雄が1972年に発表した訳文で、意図的に「良いことも書いてある」と言うための、引用した文言のとおり見てのとおりマイルドな不当表示、誇大広告である。
よって理性を尊ぶ皆さんは、頭書の原文と関連する公式記録を冷静に検討してもらいたい。
全文を対象にすると分量が大きくなるので、最も焦点と思われる「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」の部分を検討する。
国民道徳協会の訳文は、「非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません」である。
しかし、1940年の文部省の公式現代語訳(現代仮名遣いに改めて引用)は、「万一危急の大事が起こったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室の爲につくせ」であった。
それが、1945年の第五期修身書(初等科修身)では、一身を捧げてが「命をささげて」と変わっている。
明治天皇の上覧を得た「官定解釈」とされている井上哲次郎の「勅語衍義(えんぎ)」では、「国家の為めに死するより愉快なることなかるべきなり」と率直に記されている。
これらの歴史的事実を虚飾の訳文を根拠に歪めようとすることは犯罪行為に等しい。
こういう歴史的事実のために、1983年、84年中曽根内閣時の国会では、島根県の私立高校で校長の朗読に合わせて生徒が立って一緒に読んでいること」について瀬戸山文部大臣は、「率直に言って遺憾なこと」「現在の憲法、教育基本法のもとでは不適切」「島根県を通じてそういうことのないように指導をしてくれと、勧告をしておる」と答弁し、「島根県当局に・・指導して参った」「私学の当局者に指導を繰り返してきております」と報告している。
安倍内閣のレベルの低さ、右翼的戦前回帰は明らかだろう。
以上のような事実が広がってくれればよいがと思っている。
斎藤美奈子さんのコラムがいいので追記。
ひばり鳴き静かな花見はちと寂し
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