「忙しいという字は心(こころ=りっしんべん)が亡ぶと書く」とはあまりに的を射ている話だと、電通過労死事案などを見ていて感心する。
「何で死ぬまで働いたの?」とは他人が後から言えるもので、長時間労働と睡眠不足では「心が亡び」、正常な判断力を奪ってしまう。
極度の長時間労働や業務による心理的ストレスは鬱病等の精神障害を呼び、その種の精神障害は多くの場合自殺念慮を呼ぶ。
このために、本来「故意に負傷・・死亡・・は政府は保険給付を行わない(労災保険法第12条の2)」のが大原則の労災保険制度で、究極の故意に見える「過労自殺」が業務上災害=労災と認定されるのだ。
近頃は「新しいタイプの鬱病」などがあるともいわれるが、多くの場合業務によって鬱病になるのは「タイプA」と呼ばれる模範社員タイプである。
そういう真面目な模範社員を企業や社会から排除して「生産性」もないものだ。
なのに何故、政府・財界は長時間労働を続けるのか。彼等の深謀遠慮はもしかしたら一般人の想像を桁違いで超えているのかもしれない。
先日ある人から、「平和や原発の課題で労働組合の動きが弱い」「若い人の参加が少ない」という嘆きの言葉を聞いて少し考えた。
マスコミの影響、教育の影響も大きいかも知れないが、労働者は人手不足と成果主義でへとへとなのではないだろうか。
長時間労働は心を疲弊させ、考えることをつらくさせる。
テレビぐらいはしんどい話をやめて、気楽にアハハと笑って済ませたい。
つまり、長時間労働は政府・財界にとって、幾ばくかの戦力喪失以上に価値があると「深謀遠慮」の参謀本部は考えていないだろうか。
これほどまでに不正義な政権が存在できているのは、過密・長時間労働で勤労市民が「考えることを忘れた」結果ではないのか。
この話、バカバカしすぎますか。
菜の花や蜂蜜の匂いと親子連れ
その通りだと思います!
返信削除スノウさん、コメントありがとうございます。
返信削除内閣や経団連の面々はお酒を飲みながら「小人閑居して不善を為す」なんて言っているに違いありませんね。
ところで、微力ながらもそういう風潮に抗いたいとミニコミ紙を作ったりするのですが、原稿を依頼した方々にも「今は多忙なのでパスさせて」という回答があります。
でもね、多忙が解消されたときには抗いがたい社会が固まっているように思うのですが。