2016年11月24日木曜日

我流歳時記離岸

   テレビ番組で待遠しいのはプレバトの俳句教室だが、毎回視聴しながら私は打ちのめされている。
 ある写真を見て芸能人達が俳句を作るのだが、私はというと全くと言ってよいほど俳句が浮かんでこない。
 そんな私の水準をはるかに超えた芸能人達の作品が夏井いつき先生によって批評・添削されるのだが、その切口が文字どおりバッサリで、しかも文句なしに説得力がある。
 で、それを聞きながら私は自分自身に絶望的になる。
 ああ、俳人の脳みそはどうなっているのだろう。

 ・・・・・ しかし、ビギナーズラックという言葉もないではないが、世の中、最初から上手くいくものなどないに違いない。と自分を慰め・・・
 中島みゆきの「ファイト」ではないが、闘わない者の嘲笑よりも、無様でも闘う道を選んで今日まで生きてきたつもりだ。
 と、一念発起して10月10日のブログから、できるだけ記事の尻尾に一句捻ってみることとした。

 読み返すと恥ずかしい。ただただ恥ずかしい。
 いつき先生の言う「ただの散文を五七五に切っただけで俳句を作った気になっている」のだとは判っているのだが、それを止揚できない。
 
 でも・・・・・、小学5年生の夏、私は突然泳げるようになった。遠泳が得意で無限に泳げるような気分にさえなった。運動には練習の積み重ねのうちにこんな飛躍の段階がある。
 いつか、「あれまでは恥ずかしげもなく酷い五七五を公表していたものだ」と言える時がくるだろうか。 「ファイト!」である。

 ただ、金子兜太氏の言葉の中に「虚子の唱えた花鳥諷詠の句ができなくなる時期の来ることを心配している」「季語が無いというので社会を語らないのは冷笑主義・シニシズムだ」というのがあり、大いに勇気づけられている。
 俳句に挑戦し始めたとまでは言えないが、わずかながら離岸したと思っている。
 23日、百均で手帳を買ってきた。

    末端冷え性十七文字が紡げない
            木と木の間に上手く糸を紡いでいる奴もいるのに

 今朝のテレビを観て
    首都の雪臨時ニュースと全国に

4 件のコメント:

  1. 2句目の・・・臨時ニュースと全国に」は、「と」とすることで都会の人の慌てぶりを『臨時ニュース』を使い面白がっているようで、リタイヤした年寄りの気持ちがよく出ているように思います。「で」では臨時ニュースの面白さが出ないのではないかと思います。
    私も1句「今朝の冷え迷い吹っ切れ長下着」

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  2.  「それがワザワザ流すべき臨時ニュースかい」と、この国はそれほど平和なのか、マスコミのセンスは大きく狂っていないかと首をかしげた次第。
     あなたの句に、私は孫に絶対に風邪を移してはならんということで相当以前から厚着にしています。本格的な寒波が来ればヒキコモル予定です。

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  3.  長谷やん、プレパトの俳句教室は、先生の的を得た批評や添削に加えて、解説の切り口の鋭さに脱帽しています。この人は他の分野でも十分テレビ出演できる才能があるのではないでしょうか。
     私には、長谷やんやひげ親父さんのような句才(?)はありませんので、守備範囲の仏教から議論に参加させていただきます。
     仏教者の生きる覚悟を示すものとして「芭蕉の臨終」という説話が伝わっています。臨終に際して芭蕉は、弟子の去来や支考の辞世の句の求めに対して、「昨日の発句は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世、我、生涯言い捨てし句々一句として辞世ならざるはなし」と語り、それが釈尊の教えであると言い残したそうです。「私は俳句を日々そういう覚悟で作ってきた。辞世の句が必要なら好きに選べばいいではないか」という芭蕉の声が聞こえてくるようです。
     発句は才能や出来不出来ではなく、そこに込められた作者の必死の思いが大切なのだと芭蕉は言いたかったのではないでしょうか。

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  4.  9月27日の「俳句入門」に書きましたが、私の俳句の才能はゼロではなくマイナスなのです。
     それでも、怖いもの知らず、恥知らずで挑戦してみようかと思い始めたところです。
     なお、ひげ親父さんはこれまでのブログを読んでも、なかなかの句才?ありだと尊敬しています。

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