21日の記事で、『統一地方選挙が迫っているが、いま政府与党側からは「人口減少時代に自治体が従来どおりライフラインを維持してくれると考えるな」という恐ろしい攻撃が始まっている』ということを書いたが、10年後の2025年には75歳以上人口が総人口の18%に達するとされている介護の舞台では、このことがもっと急速に現実化している。
●この4月から、従来の訪問介護、デイサービスを廃止し、ボランティアを主体にした事業にする。(そんな転換が困難なため既に事業廃止も増えている)
●預貯金、非課税年金等も含めて所得としてカウントし、利用料金を原則2割に引き上げる。
●特養から要介護1・2を原則排除する。
●施設の費用負担軽減制度を大幅に縮小する。・・・等々である。
そしたら要介護3以上になったら特養に入れるのかと言えばそうではなく、今でも「何百人待ちです」ということで、入所が早いか死ぬのが早いかというように待機させられているのに、さらに、介護報酬の引き下げで特養の経営も一層困難になり、やせ細っていく。
猛烈に経済が減速したといっても世界第3位の国民総生産(経済大国)の国でこんなことを許しておいていいのだろうか。
総選挙に関わって消費税が議論された折、私はこのブログで「税というものは応能負担が原則」「富の公平な再配分こそが国家の仕事」と書いたが、本当に今こそ「政治とは何か」「社会保障は国の責務」という原則問題を語らなければならないように思う。
そうでないと、私のいる自治体のアンケートにあったような、●介護サービスが充実するなら保険料が高いのは仕方がない か、●介護サービスの充実より保険料が安い方がよい かというような単純で二者択一的な議論に誘導され、現役世代の不満は全て高齢者のせいにさせられる。
ちなみに消費税8%は約5兆円であるが、その支出先は、基礎年金の安定財源に約2.9兆円、赤字国債返済に約1.3兆円、増税分への対応に約0.2兆円、社会保障に約0.5兆円となっている。
その社会保障部分の内訳は、待機児童対策・子育て支援に約3000億円、低所得者の国保料軽減に約620億円、高額療養費制度に約50億円、難病対策に約300億円、遺族年金の父子家庭拡大に約10億円、そして、医療・介護の体制整備にわずか約1000億円で、その1000億円は医療・介護制度のこの種の『改革』が前提となっている。
中東の問題ではないが、この国の為政者の好きな国民向けの合い言葉は『自己責任』らしい。
親兄弟はもちろん、私たちだっていつ介護の対象になるかわからない。そしてそれは突然やって来ることが多い。
上手くピンピンコロリならよいけれど、それは誰にも判らない。
自治体のアンケート結果では、「いずれは高齢者向けの施設に入所あるいは入居したい」が26.2%に対し、「自宅で介護サービスを利用しながら暮らしたい」が39.9%だった。
広い農村地帯を抱える自治体だから、農村地帯とニュータウンでは大きく異なることだろうが、私にはこの結果は淡い願望であって、「超」が付くほど「甘い」と思う。
私の友人たちで親の介護が済んだ人々と話してみても、介護うつで崖っぷちギリギリまで行っていたと話す人は多い。辛くて書けない話も多い。
私は基本的に特養を増やすこと、そしてそこが姥捨て山のようではなく、日々の生活が楽しい場になることが現下のテーマだと思う。
そういう気持ちで親の入所していた特養の家族会のお手伝いを今もさせてもらっている。
社会保障の実際の現場は地方自治体になるが、それも国の制度と予算で大きく制約される。
だから統一地方選挙間近で、親戚、友人、自分の町内等々の血縁地縁が無視し難いこともあるだろうが、いまこそ本当に国の悪政にモノを言って自治体のあるべき福祉に努力する自治体にしていく必要を強く感じていて、地方政治の選挙でも、日本共産党の躍進が大切だと私は考えている。
自分と自分の家族のために、介護問題は決して遠い課題ではない。
介護付き老人マンションを夢見ている方も少なくないが、私の知る限り現実はそんなに甘くない。
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