2015年1月13日火曜日

古代国家誕生の地

  お正月のニュースのトップが寒波と豪雪だった。
 息子のファミリーも北陸からの正月2日中のUターンを断念した。
 「住めば都」という言葉があるが、半世紀以上(どちらかといえば)太平洋側気候で過ごしてきた人間には日本海側の冬は大変だなあという気分が拭えない。
 向こうから言わせれば太平洋側(それも盆地)の夏は堪らないだろうということになるだろうが。

 我が里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後 と天武が「貴方の居る古ぼけた田舎に降るのは後でしょう」と詠うと、藤原夫人は、我が岡の 龗(おかみ)に言ひて 降らしめし 雪の摧(くだ)けし そこに散りけむ 「私の岡の水神に降らせた雪の欠片がそこに降ったのですよ」と応えたらしいが、豪雪地帯の人に言わせれば「何をチャラチャラと・・・」という歌になるだろう。そこは明日香の周辺の‟そことここ”の場所である。

 さて、日本近代史専門の小路田奏直(こじたやすなお)先生の著書に次のような件(くだり)があった。
 「あるとき、居並ぶ(古代史の)専門家たちに、なぜ古代日本の中心は奈良盆地に来たのかと問うたら「そんなのわかるわけがないじゃない」といって笑い飛ばされたことがあった。」と・・・、そういう学会の状況を痛烈に批判し、「鉄の国」「封建国家」「六合の中心」などの物差しで持論を展開されていたのだが、・・といいながら私は、先生の諸論にも「ほんとうにそうなの?」という気ももやもやと持ったまま今日に至っている。
 
  そして、東北の地震、御嶽山や九州その他の火山の噴火、山陽地方ほかの豪雨と土砂崩れ、等々等々近頃の自然災害や、先にあげた日本海側の冬の豪雪被害の報に接すると、結局(奈良盆地への侵入者たる)古代の大王はこの列島の中で一番安全で温暖な土地として奈良盆地を選んだのではないかというような想像の広がるのを止めることができないでいる。
 筑紫、出雲、越のクニグニ等を統べる古代国家という意味で…。
 先生の論拠はもっともっと多角的で、大陸との関係、交易ルート、各地の豪族と中央国家、資源と産業等々学術的なのだが、私はいたって単純に、それらもあるだろうが同時に一番住みやすいところを選んだような気がしてならない。感覚の話である。
 
 今後とも古代史を学ぶ中で、葛城や蘇我や古代の豪族たちに、「なぜ貴方たちはここに来たのか」と問うてみたい気が大きくなっている。
 以前の記事の写真のとおり、このお正月は我々的には大雪だった(この言い方は決しておかしくなく、気象庁の大雪注意報等の「大雪」という定義は地域ごとに大きく異なっているという)。

 そして話は元に戻るが、3歳の孫に「雪に閉じ込められた北陸のお正月は寒かったやろう」と尋ねると、しっかりした顔で「(屋外でも)寒くなかった」と答えた。
 雪国=寒いという思い込みは太平洋側の誤解らしく、乾燥したこの地の木枯らしの方が何倍も寒いというのが雪国の人々の感想らしい。
 となると、「奈良盆地=住みやすい地」との私の仮説も、大前提が大きく狂いそうである。う~む。

2 件のコメント:

  1. 気候というものが人間の精神構造と文化に大きく影響を与えるものだと思います。昔、中学校のユニークな先生が「日本人が何故勤勉か、というのは暑い国は勝手に作物がなり、働く気がしない、寒い国は作物が育たないので働く気がしない、日本には四季があり、寒い時は休み、暑い時は少し休み、春と秋にせっせと農耕するからだ」と。この話、私は信じてました。

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  2.  奈良盆地は安全だと書きましたが、唯一の欠点は亀の瀬です。
     (奈良盆地が活断層だらけということはひとまず置いておいて)
     奈良盆地の雨水は全て大和川に合流して亀の瀬渓谷を通って大阪平野に流れますが、この亀の瀬は日本最大の「地滑り」地域で、今も膨大な予算が投入されて防御されています。
     仮に地滑りで大和川の水位が15m上がると奈良県側600ha(甲子園の410倍)が水没し、それが決壊したときは大阪側で5400haが被害にあうと言われています。もちろん、そこを通っている幹線、JR関西本線も国道25号線も切断されます。
     となると、あまり安全ではないかもしれませんが、船と徒歩で生活していた古代人には影響は少なかったかもしれません。
     ひげ親父さん、産別の退職者会で亀の瀬を学ぶレクリエーションを企画してください。値打ちがあると思います。

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