2014年5月2日金曜日

同世代

  同世代というのは、もちろん同じような年齢という外形を持っているが、私はそれよりも、共通する体験や想い出を持っている者どおしといった方が適切だろうと思う。
 となると、私は1歳年上の方とは同世代ではないということになるかもしれないが、私のイメージする同世代人とは、プレハブ校舎、二部授業、そして経済成長以前の戦後日本の貧しさを共有している者ということになる。
 さらに近年でいえば、現在および過去に親の介護に心の多くを費やした者ともいえるわけで、先日、そのような同世代人の酒席があった。
 それは、実母がお世話になった老人ホームの家族会の役員会で、定期総会が無事終了した夜の懇親会だった。
 つまり、実年齢にはちょっとした幅があるのだろうが、おおむね戦後早々の生まれで、何よりも近年親の介護に従事している(いた)者どおしだった。

 そしてこの世代は、もうひとつの別の物差しで語ってみれば、この世にカラオケが登場する以前の酒席を知っている者で、当時は、普通には宴が弾めば民謡などが跳び出し、おおむね全員が合唱したり手を叩いたものだった。
 だから、カラオケ以前の小洒落た料亭では、歌詞の詰まった豆本が配られた。
 私は、カラオケは決して嫌いではないが、カラオケの場合は往々にして一人が画面に向かい、その他の人々は自分の曲の選定のために本(や機械)を探すようなことが多く、それは、本来の酒席の趣旨からすると後退しているように感じている。
 そういうことを日頃から思っているものだから、私がホスト側に位置するような歓迎会や送別会などなど、そういう酒席に時々歌詞カードなどを印刷して持参したりしていたのだが、若い人々にはそれが反って新鮮なように思われたようだ。(実際はお愛想だったかも)

 そしてその日(家族会の懇親会)、私は『愛燦燦』を持っていった。
 参加者の最大公約数は親の介護である。この詩が胸に響かないわけがないと私は読んでいた。
 思ったとおり、何の異議もなく全員の大きな合唱になり、みんな「よかったねえ」と喜んでくれた。
 同世代のご同輩の皆さん。何らかの懇親会の折りには歌詞カードを持参しませんか。
 「そんなんは遠い昔のことやった」と、判ったような顔をして結局何もしない年寄りを返上しませんか。

7 件のコメント:

  1. 介護と孫自慢はコメントしづらいジャンルですが敢えて「愛燦々」について。小椋佳の傑作だと思いますが歳を取ると何でもない歌詞に涙が出ることがあります。きっと皆さんの心にも響いたのですね。

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  2.  この記事で私の言いたいことは「合唱」の見直しです。
     若い頃、何かと言えば歌っていた「好さ」を、仕事上の中間管理職になったらいろんな場面で発揮したらどう?ということですし、リタイヤ後の懇親会でも「ダンドリ八分」で臨めばどう?ということです。
     「練習していないから」と尻込みするのは私には理解できません。
     29日に私は「愛燦燦」を持っていくつもりです。

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  3.  パソコンの調子が悪かったり、旅行したりして長いことご無沙汰しています。「合唱」と言えば「川に沿って走った・・・」の「青春」を想い出します。「好きさ」と言えば、ザ・カーナビーツの「お前の~全て~を!!」を口ずさみます。先日公民館で70人の前で、格好を付けて「夢芝居」を唸り上げました。
     追伸:今年もイタドリとタケノコは思いっきり食べました。近所のおばさんや職場の人にもたくさんあげました。充実した春でした。

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  4.  バラやん、楽しいコメントをありがとうございます。イタドリとタケノコ羨ましい限りです。
     さて、時代はカラオケから合唱に代わってきていませんか。〇〇48とかモモクロとか、みんな合唱の時代と違いませんか。御地のOB会はどんな風に盛り上がっておりますか。酒さえあればいいのでしょうか。私は、ホスト側が初心に帰って「おもてなし」を工夫すべきだと思っています。

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  5.  OB会は年2回例会をやっていますが、歌ったり呑んだりで何処にもあるOB会だと思います。
     退職して驚いたことは、地域の文化活動が活発なことです。時代劇始め各種舞踊、外国語教室、合唱団、等々私も「男の料理教室」に参加しています。人口2千人余りの小さな地区ですが、オールドパワーの凄さに感心させられます。田舎の小さな地区だからこそ出来ることですが、「おもてなし」の心がいっぱいあります。

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  6. 長谷やんの提案、しっかり受け止めました。

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  7.  決してひげ親父さんのことではありません。
     年代を問わず、近頃の自覚的な人々の多くに共通する課題だと思っています。

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