2014年5月24日土曜日

年々歳々

後ろのは冬毛、前のは夏毛
  5月に入ってから奈良公園の鹿が夏毛に生え変わり、それまでの茶色の単色から鹿の子模様に変身しつつある。
 こういう季節の巡りを見ると「年々歳々花相似たり」という言葉が思い出されるが、どっこい自然はそんなに一筋縄にはいかない。
 同じ時期、周囲は美しい藤色に染まっているはずだったが、今年の春日の藤は見事に不作であった。
 一方、豊作と裏作のはっきりしているドングリはというと、春日山はブロッコリーのようにシイの花が盛り上がり、栗と同じような異臭をまき散らせているから今秋は豊作だろう。

白っぽいモコモコが椎木
  12日の記事の続きのようになるが、谷幸三先生によると、1300頭以上いる奈良公園の鹿の適正規模は(ほんとうは)50頭から100頭ぐらいらしい。
 だから、慢性栄養不良、近親交配による劣性遺伝、食害、極端な植生という問題があり、無邪気に「カワイ~イ」とはしゃいでいる向こうでは深刻な事態も多いようだ。
 学者の中にはシベリアあたりの狼をもう一度日本の野山に放つべきだという主張もあるようだが、谷先生は沖縄のハブ対策にマングースを放った失敗同様に否定的だった。
 そんなことを考えると、私たちの周囲では百年の計が語られていないような気がする。原発しかり。
 ご同輩の皆さんが長寿を寿ぎ曾孫に「曾祖父ちゃんの頃は奈良公園は青々していて鹿がいっぱいいてたんやで」と語るのを、大台ケ原の枯れ木ロードのような奈良公園しか知らない曾孫が「どうしてそんな公園を残してくなかったん」という時代が来るようだ。(カシノナガキクイムシによる「ナラ枯れ」が広がる一方、シカの食害で世代交代できる若木が全く育っていないから、恐ろしく危機的状況が静かに進行しているらしい。)
 エネルギー革命だ、貿易の自由化だ、グローバル化だ、「乗り遅れたらひどいことになる」と脅かされ続けて辿り着いた半世紀の現状を高齢者こそ深い知恵で総括する必要があるように思う。
 大飯原発訴訟判決要旨の次のくだりは、「飼いならされ過ぎた」現代人への目覚まし時計のように私は感じた。
 ・・・・・・・・・・被告は本件原発の稼働が電力供給の安定性、コスト低減につながると主張するが、当裁判所は、多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等を並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的に許されないと考える。
 このコスト問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止で多額の貿易赤字が出るとしても、国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻せなくなることが国富の喪失だと当裁判所は考える。
 また被告は、原発の稼働が二酸化炭素排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、ひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじい。福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原発の運転継続の根拠とするのは甚だしい筋違いだ。(5.22朝日)

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