2013年11月6日水曜日

こんなところに葛木神社

  大雑把に言えば卑弥呼の次の次の時代、5世紀「倭の五王」の時代は巨大前方後円墳の時代であった。
伝磐之媛陵
  その時代に、奈良盆地南部の磯城・磐余(しき・いわれ、桜井市・橿原市)を本来の基盤としていた(当時の古墳の多くは大阪に築造されたが)天皇家と・・・、
 奈良盆地南部を二分して、金剛山・葛城山東麓(御所市、葛城市、香芝市、北葛城郡)に権勢を誇っていたのが葛城(葛木)氏で、その葛城氏の娘、磐之媛(いわのひめ)が仁徳天皇の皇后となったが、天皇家一族以外からの皇后は異例中の異例だった。
 記紀によれば磐之媛は強烈なヤキモチ焼で、仁徳の女癖に怒って旅先から仁徳の元に帰らず、淀川から木津川を上り、奈良県北部の那羅山(ならやま)から葛城を望んで歌を詠んだあと、筒城宮(京田辺市辺り)で暮らしたという。
 そして、没して後は那羅山に葬られたといわれ、現在、その地である平城宮大極殿のすぐ北の佐紀楯列古墳群の中に伝磐之媛皇后陵はある。
 それはなかなかに立派な前方後円墳で、私はしばしば野鳥の撮影のために訪れている。

 権力との関係で巨大古墳はどのような場所に築かれたのかということは、いわゆる「王朝交代説」と絡んで論争のあるところで、4世紀中葉頃までの奈良盆地東南部の「やまと」の地から奈良盆地北部の「そふ」の地である佐紀楯列古墳群の地に築造場所が移動したことについても多くの意見がある。
 ナマクラな私などは、大先生方の本を読むたびにナルホドと思い、結局頭の整理がつかないままである。
 巨大古墳の築造地が顕著に移動(変化)しているのは王朝が代ったせいだ・・、いや、同一王権内で影響力を発揮した氏族の変化だ・・、墳墓の地は王権の宮とは関係ない・・、元の地が過密になったからだ・・、政治的効果を考えた位置だ・・、土地の開拓を考えたものだ・・、育てられた母系の氏族の地だ・・、途中から意味合いも変化したのだ・・、等々等々・・・・。

葛木神社
  ところが、伝磐之媛陵には30年近く訪れていたのだが、此の度初めて、その古墳の近くに葛木神社のあることを知って驚いた。間寛平なら「な、な、なんと」と叫ぶところである。
 有名な葛木神社は金剛山の頂上にある。そこに祀られている「一言主神」は御所市の葛木坐一言主(かつらきにいますひとことぬし)神社にも祀られている。そして、同じ葛木神社がこの那羅山の麓にあったのだ。
 何を驚いているかといえば、きっとここは葛城の領地だったのだ。だから、葛城の娘がそこに埋葬されたことに何の不思議もないのだと納得できたことである。
 というようなキーワードで他の皇后陵などが解けるのかどうかはわからないが、おいおいと考えていきたいと思っている。
 ちなみに、神功皇后(息長帯比売 おきながたらしひめ)は神話的装飾が著しい皇后で「架空の人物」と実在が疑われているが、私は実在したと考えている。父の息長宿禰は近江の息長氏とは別らしく南山城に勢力を張っていたらしい。とすると、伝神功皇后陵も実家の領地に葬られたことになり、全くの空想でもなさそうに思っている。
 葛木神社の社伝には「仁徳天皇が磐之媛のために建立した」と書かれているが、私は違わないかと思っている。
 葛城一族が、自分の領地に氏神を祀ったと考える方が素直ではないだろうか。
 「そんな誰でも思いつくような当たり前の想像が、何が嬉しいのん」と言われれば身も蓋もない。

 歴史の定説と言われているものも自分自身の五感で納得することが大切だ。
 秘密保護法など現在進行形の社会問題についても、それが定説であるかのように発表する政府見解や報道されるニュースを無批判に信じることはよろしくない。
 山本太郎議員が天皇に手紙を渡した件も、憲法第4条の「国政に関する権能を有しない」規定を踏みにじって天皇制を政治の舞台に引っ張り出す役割を果たすであろうことから私は反対ではあるが、園遊会が私的行事なら手紙も私的行為だろうし、天皇に対する請願なら(先の論から私は反対だが)提出先を間違えた問題だろう。それを戦前の不敬罪の脈絡で「懲罰だ」などという叫ぶ不見識をそのまま垂れ流す報道も報道だと思う。

 先日は奈良の頭塔について「復元の姿がしっくりこない」と書いた。そして、「史跡頭塔」のFacebookに質問を送ったところ、「屋根の形は裏付け資料が少ないため復元は断念した。」「この屋根は復元ではなく石仏の劣化を防ぐためにつけたもの。」と返事を戴いた。
 このことからも、いわゆる権威に盲従するのでなく、素直に考え議論することの大切さを痛感した。
 談論風発がいいですね。コメントお願いします。

7 件のコメント:

  1.  難しい歴史のことはほとんど解りませんが、神社に就いてコメントさせていただきます。いつもながら私自身のことですが、自分の住んでいる地区の神社の役員に平成26年から就任させていただくことになりました。3000人程の田舎ですが、神社は2つあり立派な歴史ある神社です。
     数年前から、地区の先輩に誘われて、地区の公民館でやっている「男の料理教室」に参加させていただくようになり、3年程前から「男の料理教室」の先輩から、「是非神社の役員になってほしい。」と依頼され続けられましたが、これを受けると足腰立たなくなるまで、やらねばならなくなってしまうので、断り続けていました。しかし最近こう言う伝統芸能(ただの古代の舞、や太刀踊り)なども私が小さい頃、踊らさせていただいた記憶もあり続けていかないかん。と一杯飲んだ勢いもあり、引き受けれこととなりました。引き受けたからには先輩の指導に従い、古式の文化を勉強して引き続けていかなければいけないと肝に銘じています。
     談論風発のコメントにはなりませんでしたが、お許しください。
     ちなみに今日は嫁さんの60回目の誕生日です。

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  2.  一杯飲んだ勢いで引き受けた様子が目に浮かぶようです。
     しかし、それはよかったと思います。
     人生、働いて、酒飲んで、テレビ見てだけではありませんからね。
     なお、ハッピバースデーツーケイコチャン

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  3. バラやん足腰立たなくなるとは、宴会ですか、踊りの稽古ですか?まーどっちゃでも最後は飲むんでしょうなー、踊りは一生懸命に、飲む方はほどほどに。

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  4.  「足腰立たなくなるまで」とは終身ということなのでしょう。
     伝統芸能を次代に伝承することは素晴らしい仕事だと思います。

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  5.  私は添御縣坐神社の記事の最後に書いたように、そんな環境のバラやんが羨ましい。
     ただし、現代社会の中で、神社本庁がとっている、人権や民主主義と乖離した右翼的発言や政治的行動には反対です。

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  6.  長谷やんの言われていることは、十分理解でき納得しています。「祝日には国旗を立てましょう。」などが代表的な右翼発言だと思います。しかし、これからの日本、世界、宇宙、は如何なって行くんだろうと訳も分らないまま考える時があります。月と地球は光の速さで3秒もあれば往復出来ますが、地球と太陽の往復は光の速さで約1000秒かかります。私は一般の人と比べ非常に車に多く乗りました、光速は1秒30万キロと言われています。私は光速で今まで車で約4秒走りました。・・・今見えている○○星が7百万光年と宇宙物理学の書にかかれています。私は今まで車を運転して、何とか地球と月を往復した程度です。宇宙の話は、神社の話とはあまり関係ないと思いますが、私には重要です。

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  7.  バラやん、コメントありがとうございます。
     ほんとうに、今見ている星が実は今は存在していないかもしれない、何百万年も何億年も昔の光をようやく私が認識しただけだというのは理屈でわかっても感覚がついていきません。
     実は未だブログの記事にするほど熟成していないのですが、京大が大学院に「総合生存学館」というのを作りました。太陽系第3惑星地球の歴史の中の生物絶滅の危機を分析し、未来の危機を防ぐ対策を樹立しようとするものです。私はここの特定教授泉拓良先生の講義を何回か聞いています。
     スケールの大きな話に悩み考えることも楽しいことです。
     宇宙の話もコメントしてください。

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